2010.07.14 (Wed)
恋は盲目、国際離婚の原因ってのは……
まいったね。
国際離婚には、まいったね。
国際結婚ってのは、華やかなイメージがあるよな。最近じゃ「ダーリンは外国人」なんて本もヒットしたようだが、言葉や文化の違いを超えてなお愛する2人ってのは、実にほほえましい。
日本人とフランス人のカップルってのも、後藤先輩や中村先輩を筆頭に数多い。おっと、後藤先輩ってのは後藤(久美子)先輩、中村先輩ってのは中村(江里子)先輩のことだぜ。
国際カップルのお子さんってのは、両国の長所が混ざり合い溶け合っていて、実にかわいらしいもんだな。
しかし、結婚の影には離婚がある。残念ながら国際離婚ってのももちろん存在するわけだが、こちらはスポットライトが当たらないこともあり、あまり知られていない。
番長、国際結婚はもちろん、国際離婚に関しても門外漢だ。知ったような口をきくつもりはねえ。ただ、人の話を聞いたり、ネット上の掲示板を読んだりするなかで、ちと気になったことがある。
日仏カップルというと、フランス人男性と日本人女性の組合せってのが大半を占めるんだが、国際離婚に至る場合、お互いに相手に対して幻想を抱いていたことが原因になっていることが、どうもよくあるみたいなんだよな。
どういうことかって?
国際離婚だからって、別れる理由が特別変わってるってことはねえ。「性格の不一致」「暴力」「不倫」「浪費」ってなとこだ。
だが、なぜそんな相手と結婚してしまったかということになると、これは国際離婚ならではの事情ってのが出てくるようなんだな。
たとえば暴力。日本人女性の場合、フランス人、ことに白人の男性が女性に対して暴力をふるうことがあるなんて考えもしなかった、ってことがあるようだ。
というのも、日本人女性がフランス人に惚れる大きな一つの理由が、女性に対する優しさや心遣いにあるからなんだな。
ものっすごく身近なところで言うと、レディファーストの精神な。ドアを出るときに必ず女性を先に通すとか、重いものを持つとか、ごくごく単純なことだ。なんだが、日本人の男でスッとこういうことをできるヤツってのは、まずいない。そういうささいなことの積み重ねがグッと来るってことがあるようなのよ。
しかし、そのことと暴力とは話がまったく別でね。レディファーストなんてのは小さい頃からの習い性で、フランス人からしてみりゃ特別何の意識もないわけよ。それを日本人は「根っから性格が優しいからなんだわ」って都合良く誤解しちまいがちなんだな。
それと、暴力ってのは何もぶったり殴ったりってばかりじゃねえ。言葉の暴力ってのもある。これも深刻なものは精神をズタズタに引き裂くほどのダメージを及ぼすもんだ。
ちょっと考えてもみてくれ。フランス人以上に口の立つ日本人ってのもまずいないだろうぜ。屁理屈や口の減らないことでは天下一品で、オマケに生来の議論好きと来てる。早口のフランス語でまくしたてられて精神的に追い込まれる、なんてケースもあるようだ。
いずれにしても、その人の暴力性ってのは、見た目の優しさとは関係がない。そのへんは交際期間中にしっかり見極めねえとな。もっとも、相手が日本人だったら誰でもわかりそうなことでも、こと相手がフランス人となると見えなかったりするんだよな。
それから、知的レベルが合わないって場合もあるようだ。
別に統計があるわけじゃねえが、国際結婚をしようという日本人女性ってのは、おおむね優秀な人だ。フランス人と結婚するということで言えば、かなりの確率でフランス語を勉強しているってことになる。その時点でまったくの一般人に比べるとずいぶん向学心が高いよな。番長なんて、フランスに行けと言われるまで学ぼうと思ったことすらないからねえ。大したもんだよ。
ところが、語学の上達は費やした時間と金に比例する、なんて言われてね。どんな人でも最初はカタコトから始めるわけだ。それが現地の中学生レベル、高校生レベル、大学レベルと向上していくわけだが、初期の段階では深みや奥行きのある会話なんてのはなかなかできねえさ。
そんな中で出会いがあり、結婚に至ったとするわな。段々とフランス語が上達していくうちに、ふと気づくわけだ。どうもこの人の言ってることは底が浅い。土台となる部分の知的レベルがあんまり高くない、向上心もない、なんてな。たまの休みもテレビでサッカーを見るばっかりで、図書館や美術館に行ったり、ちょっと着飾ってレストランに行く、なんて気はさらさらなさそうだ、と。
また、海外に出る少なからぬ日本人女性が、自分のキャリアを上げることに強い関心を持っている。そもそも海外へ出ること自体がキャリアの一つだからな。ところが、グランゼコール出の一部エリートを除くと、フランス人のほとんどにとって仕事ってのはやりたくないもの、やらずに済むならそれ以上の喜びはないもの、なのよ。
そういうところのギャップってのも、なかなか埋まらなかったりする。
もう一つ。今度は、フランス人男性側の思いこみだ。
フランス人男性のまわりには、あったりまえだがフランス人女性がいっぱいいる。にも関わらず、なぜ日本人女性を選ぶのか。単なる偶然以上の要素が潜んでいる場合ってのが、往々にしてあるんだな。
ヤマトナデシコ幻想ってヤツだ。
どんなときでも男を立てる、帰りが遅くても寝ずに待つ、家事や育児を甲斐甲斐しくする。日本人女性ってのはそういうもんだと思い込んでるフランス人男性ってのは、実に多い。日本のことを中途半端に知ってるヤツに限って多い。
実態がどうなのかは、これを読んでるアンタがたがよーくご存じだろう。
女性の側からしてみたところで、そんな勝手な幻想を持たれても困るわな。
ところが、さっきのレディファーストの逆で、日本人的にはなんでもないことでも、フランス人男性から見ると超やさしい、超おくゆかしいと映ることがあるんだってさ。それも、簡単な手料理をつくる、言下に否定せずにやんわりと断る、脱いだ服や使ったものをきちんと片づけるといった、ごくごく常識的なことでだ。
わからなくもねえよ。フランス人女性ってのはホント、どうしちまったんだってくらいみんな気が強いからな。地球ってのは私を中心に回ってるのよ、当然宇宙もよ、くらいは普通に思ってそうだ。だからなのかねえ、家事能力はびっくりするくらい低いことが多い。そこと比較されてるわけだ。小学生を相手に相撲を取るようなもんだぜ。
とは言え、実際に結婚してみたらウチの日本人妻はオレにかしずいてくれない、三つ指を付いてくれないと怒るフランス人男性ってのも、いるんだそうだ。ヤレヤレだな。
とまあ、ここまで挙げたような幻想ってのは往々にしてある。すると、現実が見えたときに、裏切られた、ウソをつかれていた、と転じてしまうんだな。家庭内の不和もDVも、あるいは不倫なんてのも、そこが引き金になってしまうようだ。
結婚する前、付き合ってる間にじっくり相手を見極めりゃいいじゃねえかと思うだろ。ところが、日本人同士なら相手の実家へ挨拶にでも行けば見えてくるようなこと、育ってきた環境やら金銭感覚、家族や友人を通じて見える人柄や人付き合いなんてのも、異文化ではなかなかわからねえんだな。たとえば日本だったら、その家が一戸建てなのかマンションか、建て売りなのか注文か、どんな町に建ってるのかなんてだけでも、色々なことが見えてくるよな。そんなのもフランスじゃあ通用しねえってわけだ。
それに、国際結婚ってのは手続きが大変でね。夫と妻、どちらか一方が必ず移民となる手続きだからな。ビザを取ったり仕事を探したりしなきゃならねえ。特にフランスの役所の手続きってのはものすっごく複雑で、たくさんの書類を用意しなきゃいけない上に、とんでもなく時間がかかる。そのへんに追われてると、余裕がなくなっちまうんだな。
ただでさえ、恋は盲目って言うくらいだ。結果として、相手のいちばん本質的な部分をスポッと見逃しちまうってことになる。
もっとも、日本人同士のカップルよりも国際カップルの方が離婚率が高い、という事実はない。統計の数字で見る限りは似たり寄ったりだ。
しかし、個人個人や子どもにとってみれば、1回でも離婚は離婚。家庭円満が理想だってことには何の変わりもねえ。
離婚ってのはただでさえエネルギーを使うものだ。まして国際離婚なんてことになっちまったら、そりゃ大変だぜ。フランスの裁判所に書類を提出する手間を考えてみろよ。ゾッとするじゃねえか。
いや、まいったね。
くれぐれも、相手のことは納得ずくで結婚してくれよな。

国際離婚には、まいったね。
国際結婚ってのは、華やかなイメージがあるよな。最近じゃ「ダーリンは外国人」なんて本もヒットしたようだが、言葉や文化の違いを超えてなお愛する2人ってのは、実にほほえましい。
日本人とフランス人のカップルってのも、後藤先輩や中村先輩を筆頭に数多い。おっと、後藤先輩ってのは後藤(久美子)先輩、中村先輩ってのは中村(江里子)先輩のことだぜ。
国際カップルのお子さんってのは、両国の長所が混ざり合い溶け合っていて、実にかわいらしいもんだな。
しかし、結婚の影には離婚がある。残念ながら国際離婚ってのももちろん存在するわけだが、こちらはスポットライトが当たらないこともあり、あまり知られていない。
番長、国際結婚はもちろん、国際離婚に関しても門外漢だ。知ったような口をきくつもりはねえ。ただ、人の話を聞いたり、ネット上の掲示板を読んだりするなかで、ちと気になったことがある。
日仏カップルというと、フランス人男性と日本人女性の組合せってのが大半を占めるんだが、国際離婚に至る場合、お互いに相手に対して幻想を抱いていたことが原因になっていることが、どうもよくあるみたいなんだよな。
どういうことかって?
国際離婚だからって、別れる理由が特別変わってるってことはねえ。「性格の不一致」「暴力」「不倫」「浪費」ってなとこだ。
だが、なぜそんな相手と結婚してしまったかということになると、これは国際離婚ならではの事情ってのが出てくるようなんだな。
たとえば暴力。日本人女性の場合、フランス人、ことに白人の男性が女性に対して暴力をふるうことがあるなんて考えもしなかった、ってことがあるようだ。
というのも、日本人女性がフランス人に惚れる大きな一つの理由が、女性に対する優しさや心遣いにあるからなんだな。
ものっすごく身近なところで言うと、レディファーストの精神な。ドアを出るときに必ず女性を先に通すとか、重いものを持つとか、ごくごく単純なことだ。なんだが、日本人の男でスッとこういうことをできるヤツってのは、まずいない。そういうささいなことの積み重ねがグッと来るってことがあるようなのよ。
しかし、そのことと暴力とは話がまったく別でね。レディファーストなんてのは小さい頃からの習い性で、フランス人からしてみりゃ特別何の意識もないわけよ。それを日本人は「根っから性格が優しいからなんだわ」って都合良く誤解しちまいがちなんだな。
それと、暴力ってのは何もぶったり殴ったりってばかりじゃねえ。言葉の暴力ってのもある。これも深刻なものは精神をズタズタに引き裂くほどのダメージを及ぼすもんだ。
ちょっと考えてもみてくれ。フランス人以上に口の立つ日本人ってのもまずいないだろうぜ。屁理屈や口の減らないことでは天下一品で、オマケに生来の議論好きと来てる。早口のフランス語でまくしたてられて精神的に追い込まれる、なんてケースもあるようだ。
いずれにしても、その人の暴力性ってのは、見た目の優しさとは関係がない。そのへんは交際期間中にしっかり見極めねえとな。もっとも、相手が日本人だったら誰でもわかりそうなことでも、こと相手がフランス人となると見えなかったりするんだよな。
それから、知的レベルが合わないって場合もあるようだ。
別に統計があるわけじゃねえが、国際結婚をしようという日本人女性ってのは、おおむね優秀な人だ。フランス人と結婚するということで言えば、かなりの確率でフランス語を勉強しているってことになる。その時点でまったくの一般人に比べるとずいぶん向学心が高いよな。番長なんて、フランスに行けと言われるまで学ぼうと思ったことすらないからねえ。大したもんだよ。
ところが、語学の上達は費やした時間と金に比例する、なんて言われてね。どんな人でも最初はカタコトから始めるわけだ。それが現地の中学生レベル、高校生レベル、大学レベルと向上していくわけだが、初期の段階では深みや奥行きのある会話なんてのはなかなかできねえさ。
そんな中で出会いがあり、結婚に至ったとするわな。段々とフランス語が上達していくうちに、ふと気づくわけだ。どうもこの人の言ってることは底が浅い。土台となる部分の知的レベルがあんまり高くない、向上心もない、なんてな。たまの休みもテレビでサッカーを見るばっかりで、図書館や美術館に行ったり、ちょっと着飾ってレストランに行く、なんて気はさらさらなさそうだ、と。
また、海外に出る少なからぬ日本人女性が、自分のキャリアを上げることに強い関心を持っている。そもそも海外へ出ること自体がキャリアの一つだからな。ところが、グランゼコール出の一部エリートを除くと、フランス人のほとんどにとって仕事ってのはやりたくないもの、やらずに済むならそれ以上の喜びはないもの、なのよ。
そういうところのギャップってのも、なかなか埋まらなかったりする。
もう一つ。今度は、フランス人男性側の思いこみだ。
フランス人男性のまわりには、あったりまえだがフランス人女性がいっぱいいる。にも関わらず、なぜ日本人女性を選ぶのか。単なる偶然以上の要素が潜んでいる場合ってのが、往々にしてあるんだな。
ヤマトナデシコ幻想ってヤツだ。
どんなときでも男を立てる、帰りが遅くても寝ずに待つ、家事や育児を甲斐甲斐しくする。日本人女性ってのはそういうもんだと思い込んでるフランス人男性ってのは、実に多い。日本のことを中途半端に知ってるヤツに限って多い。
実態がどうなのかは、これを読んでるアンタがたがよーくご存じだろう。
女性の側からしてみたところで、そんな勝手な幻想を持たれても困るわな。
ところが、さっきのレディファーストの逆で、日本人的にはなんでもないことでも、フランス人男性から見ると超やさしい、超おくゆかしいと映ることがあるんだってさ。それも、簡単な手料理をつくる、言下に否定せずにやんわりと断る、脱いだ服や使ったものをきちんと片づけるといった、ごくごく常識的なことでだ。
わからなくもねえよ。フランス人女性ってのはホント、どうしちまったんだってくらいみんな気が強いからな。地球ってのは私を中心に回ってるのよ、当然宇宙もよ、くらいは普通に思ってそうだ。だからなのかねえ、家事能力はびっくりするくらい低いことが多い。そこと比較されてるわけだ。小学生を相手に相撲を取るようなもんだぜ。
とは言え、実際に結婚してみたらウチの日本人妻はオレにかしずいてくれない、三つ指を付いてくれないと怒るフランス人男性ってのも、いるんだそうだ。ヤレヤレだな。
とまあ、ここまで挙げたような幻想ってのは往々にしてある。すると、現実が見えたときに、裏切られた、ウソをつかれていた、と転じてしまうんだな。家庭内の不和もDVも、あるいは不倫なんてのも、そこが引き金になってしまうようだ。
結婚する前、付き合ってる間にじっくり相手を見極めりゃいいじゃねえかと思うだろ。ところが、日本人同士なら相手の実家へ挨拶にでも行けば見えてくるようなこと、育ってきた環境やら金銭感覚、家族や友人を通じて見える人柄や人付き合いなんてのも、異文化ではなかなかわからねえんだな。たとえば日本だったら、その家が一戸建てなのかマンションか、建て売りなのか注文か、どんな町に建ってるのかなんてだけでも、色々なことが見えてくるよな。そんなのもフランスじゃあ通用しねえってわけだ。
それに、国際結婚ってのは手続きが大変でね。夫と妻、どちらか一方が必ず移民となる手続きだからな。ビザを取ったり仕事を探したりしなきゃならねえ。特にフランスの役所の手続きってのはものすっごく複雑で、たくさんの書類を用意しなきゃいけない上に、とんでもなく時間がかかる。そのへんに追われてると、余裕がなくなっちまうんだな。
ただでさえ、恋は盲目って言うくらいだ。結果として、相手のいちばん本質的な部分をスポッと見逃しちまうってことになる。
もっとも、日本人同士のカップルよりも国際カップルの方が離婚率が高い、という事実はない。統計の数字で見る限りは似たり寄ったりだ。
しかし、個人個人や子どもにとってみれば、1回でも離婚は離婚。家庭円満が理想だってことには何の変わりもねえ。
離婚ってのはただでさえエネルギーを使うものだ。まして国際離婚なんてことになっちまったら、そりゃ大変だぜ。フランスの裁判所に書類を提出する手間を考えてみろよ。ゾッとするじゃねえか。
いや、まいったね。
くれぐれも、相手のことは納得ずくで結婚してくれよな。

2010.07.05 (Mon)
日本以上の学歴社会! グランゼコールってなんなのさ
まいったね。
学歴社会には、まいったね。
本日はお待たせ、グランゼコールのお話。
前に書いたように、フランスでは原則としてどこの大学でも自由に入れる。バカロレアという統一試験があるが、よっぽど高校でサボってたんでもなけりゃ通るシロモノ。フランス大使館のウェブサイトによれば、同年代の3分の2がバカロレアを取得するということだ。
日本の大学進学率(短大含む)は5割強だから、乱暴な言い方をすると、フランスでバカロレアを取得できるオツムの程度ってのは、日本なら大学と名前の付いてる学校のどこかに入ることができるくらい、ということになる。
あのさ、言っちゃ悪いが、日本のいわゆる偏差値下位の大学なんざ、名前を書けば受かるってなとこもあるだろ。さすがにバカロレアはそういうわけにはいかねえが、どれくらい勉強すれば合格できるのかの水準は、まあ推して知るべしってこったな。
だからフランスには、日本のような「受験戦争」は存在しないし、大学の「入試難易度」なんてものも建前上はない。自由・平等・博愛を国是とする国らしいじゃねえか。
ところがどっこい、フランスの学歴社会ぶりってのは、そりゃもう大変なもので、日本を超えるのよ。その原因となっているのがグランゼコール。どこの大学を出たかはほとんど問題にならないが、「グランゼコールを出たか」「どのグランゼコールを出たのか」は、ほぼ一生を左右するんだな。
グランゼコールはフランス全土の主要都市に約350校がある。やっぱりバカロレアを取らないと入れないから、広い意味では大学と同じ高等教育機関ってことになるが、難易度はまったく違うのよ。
まずは2年間の準備学級を終えないと入試すら受けさせてもられねえ。みんなここでバリバリ勉強するんだが、この準備学級自体も結構な難関で、進級できない学生もいる。この時点で脱落する連中もいるということだ。で、なんとかかんとか2年を終えると、ようやく各グランゼコールの入試を受けることができる。
詳しい倍率についてはつまびらかになっていないが、大変な狭き門だとされている。というのも、そもそも定員が少なくて、1学年が300~400人程度だからな。さらに、各校の人気の有無もはっきりしていて、フランス人なら誰でも知ってるグランゼコールってことになると、おおよそ上位1割程度ってことになる。そこへ入ろうと思ったらそりゃ大変ってわけだ。
バカロレア取得者のうち、大学に進むのが80%。結局進学しないのが15%いて、グランゼコールへ進むのは残りの5%弱だけ。中でも有名なグランゼコールに進むとなれば、これは日本で東大に入るよりもよっぽど難しいということになるな。
さてこのグランゼコールとは、いったい何なのか。完全にフランス独自のシステムなんで、なかなか理解しにくいんだが。番長流にざっくりご説明しよう。
日本にキャリア官僚っているだろ。たとえば警察官で考えようか。フツーに警察官になるんだったら、高卒の資格があればいい。で、各都道府県警察の採用試験を受ける。たとえば神奈川県警の警察官ってのは、神奈川県職員なんだな。首尾良く合格すると、まずは巡査を拝命する。
警察官の階級は巡査から始まって、巡査部長、警部補、警部、警視、警視正、警視長、警視監……と上がっていく。警察署ならだいたい警部で課長クラス、警視で署長クラスだ。上の階級へ進むには、昇任試験にパスしなきゃならねえ。巡査部長くらいは誰でもなれるんだが、その上は結構な難関。論文試験もあるんだぜ。階級が上がれば基本的に給料も上がるんだが、定年まで巡査部長って人もいる。
ところが、同じ警察の中にも、まったく違う採用経路の人がいる。国家公務員一種試験に受かり、警察庁に入った人たちだ。こちらは国家公務員。彼らのことをキャリアというわけだな。ほとんどは一流大学の出身だ。入庁するなりいきなり警部補から始まり、試験なんぞ受けなくてもポンポンと上の階級に上がる。
だから、地方の県警だと、県警本部で政治家の汚職事件なんかを指揮する捜査2課長が30歳そこそこだったりする。警察は完全なタテ社会だから、たたき上げのベテランも課長には敬語を使い、意に添わない命令にも従わなきゃならない。このへんの悲哀は、ドラマや小説でもよく取り上げられるよな。「踊る大捜査線」とかさ。
フランスの場合、このキャリア制度があまねくすべての職業に存在すると考えてもらえばいい。それも、官庁のみならず私企業でもだ。
どうやったらキャリアになれるのか? そう、グランゼコールを出ればいいのよ。
たとえば、日産CEOのカルロス・ゴーン。年8億9千万円の給料をもらっていることで話題になったが、彼はグランゼコールの中でも最上位の一つとされる「エコール・ポリテクニーク」と「パリ国立高等鉱業学校」の出身。卒業後はまずタイヤメーカーのミシュランに就職したんだが、入社3年目の27歳で工場長、31歳でブラジル・ミシュラン社の社長、35歳で北米子会社の社長になっている。もちろん本人の才能もあるんだが、こういう出世コースをたどれるのはグランゼコール出ならではだ。
これは極端な例だが、大企業で課長以上の管理職になったり、官公庁に勤めたりしたかったら、グランゼコールを出ているというのは必須の条件なのよ。

(パリ国立高等鉱業学校、ウィキペディアより)
グランゼコールってのは、職種別にある。たとえば「パリ国立高等鉱業学校」、「国立土木学校」「高等電気学校」なんてのがあって、それぞれ鉱業、土木、電気の分野でトップに立つ人間を育成する。「高等師範学校」ってのは大学などの教員養成。ほかにも、いわゆるMBAの資格を取るビジネススクールや、陸海空軍の士官学校もその範疇だ。
中でも別格なのが、ENAと書いてエナ。「国立行政学院」の略で、高級官僚を輩出するための学校だ。ここに入るためには、どこかヨソのグランゼコールを卒業してなきゃならねえのよ。ただ、努力をしただけの見返りはある。エナの卒業生のことをエナルクと呼ぶんだが、歴代の大統領・首相・大臣の多くがこのエナルクなのよ。
といった具合に、フランス社会ってのはグランゼコール出身者によって牛耳られてるんだな。
フランスの大学ってのは、常に定員よりも多い学生を抱えている。1980年代の後半まで、バカロレアを通ったぞという資格ってのは、同世代の10人中3人くらいしか持っていなかった。それが今では7割に近づきつつある。この20年くらいの間に進学志向がグッと強まったんだな。
つまり、20年前に比べて大学生の数ってのは倍以上に増えてることになる。おかげで教室はいつもいっぱい。備品は間に合わず、教員の目は行き届かない。だけど施設は更新もされずオンボロのまま。
それに比べるとグランゼコールは入り口でばっちり入学者の数を絞ってるから、充実した学生生活を送れるってわけだ。
学生の就職難は既にお伝えしたとおりだが、そんな中でもグランゼコール生だけは別格。日本でいうリクルーターみたいに、企業の側からお迎えがくるんだそうだ。インターンシップのお誘いもふんだん。一般の大学生からしてみりゃ、ただでさえ雇用の枠は少ないのに、おいしいところはグランゼコール生に全部持っていかれちまうってんで、恨み節のようだぜ。
一般市民からみた、エナルクを筆頭とするグランゼコール出身者に対する視線というのは、定年間近になっても巡査部長でいるようなおまわりさんが、東大出身のキャリアに対するときのソレだと考えてもらえばいい。ま、羨望と嫉妬の入り交じった感じだわな。でもって、そこにはあきらめの感情も入る。ああ、オレとは住む世界が別な連中だよ、ってな。
フツーに大学を出ただけの人が、立ちはだかる壁を打ち破って出生していくのは至難の業だ。そういう能力のある人は、大学を修めてからグランゼコールに入り直す。それくらい両者の格差ははなはだしいんだな。
問題なのは、このキャリアになる層が、どうも固定化されているということだ。
本来、勉強なんてのはやればやっただけ成果が出るもの。これ以上平等なものもねえ。だが、日本でも東大や京大といった一流大学に入る学生は、親の年収が一般の大学生よりも高いという調査があった。フランスでも同様で、グランゼコール生は富裕層に属している割合が高いと言われてるんだな。
考えてもみてくれ。フランスには受験産業ってものがほとんど存在していない。ということは、学校で教えてくれることを超えた部分の子どもの教育ってのは、親なり家庭に依存しているってことだ。もともと知識階級に属してなけりゃ無理ってわけだな。
都会と地方とでの差もある。パリには意識の高い家庭が多いから、高校生ともなればグランゼコールを目指す連中はそわそわし始める。ライバルも多いから切磋琢磨するわな。農村だとそうはいかないってわけだ。
さらに。フランスの学費ってのは非常に安くて、高校までは無料、大学も年にせいぜい数百ユーロなんだが。グランゼコールの学費は高い。ま、これもピンキリで、中にはゼロに近いところもあるんだが、技術系でおおむね年間1000ユーロ程度、ビジネススクールの場合には年7000ユーロを超えるところも珍しくない。
このへんもキャリア層固定化の一因だ。結局、カネもふんだんに用意できなきゃグランゼコールには入れないってんだな。フランスの学費が安いというのもよく言われる話で、確かにそうなんだが、それは「キャリアになるつもりがなければ」という条件が付く話なのよ。
よく、フランス人は人生を謳歌しているように見えるって言うだろ。週35時間しか働かないうえにバカンスをたっぷりとって、アートやら日曜大工やらにいそしんで、ってさ。その裏側には、どうやったってある程度以上の出世はできない、しなくていいという諦念があるように、番長には見えるぜ。
逆に、グランゼコール出のキャリアたちは、まあよく働く。寝食を惜しんで働く。グランゼコールに入るまでだってガリガリ勉強してきたんだろうに、ご苦労なこったよ。そこはそれ、エリートにはエリートとしての矜持があるわけだな。こういう人たちがいるから、フランスがいくらでたらめな国でも、一応は経済大国の位置におさまってるわけだ。
いや、まいったね。
フランスの学歴社会ぶりが、おわかりいただけたかな?

学歴社会には、まいったね。
本日はお待たせ、グランゼコールのお話。
前に書いたように、フランスでは原則としてどこの大学でも自由に入れる。バカロレアという統一試験があるが、よっぽど高校でサボってたんでもなけりゃ通るシロモノ。フランス大使館のウェブサイトによれば、同年代の3分の2がバカロレアを取得するということだ。
日本の大学進学率(短大含む)は5割強だから、乱暴な言い方をすると、フランスでバカロレアを取得できるオツムの程度ってのは、日本なら大学と名前の付いてる学校のどこかに入ることができるくらい、ということになる。
あのさ、言っちゃ悪いが、日本のいわゆる偏差値下位の大学なんざ、名前を書けば受かるってなとこもあるだろ。さすがにバカロレアはそういうわけにはいかねえが、どれくらい勉強すれば合格できるのかの水準は、まあ推して知るべしってこったな。
だからフランスには、日本のような「受験戦争」は存在しないし、大学の「入試難易度」なんてものも建前上はない。自由・平等・博愛を国是とする国らしいじゃねえか。
ところがどっこい、フランスの学歴社会ぶりってのは、そりゃもう大変なもので、日本を超えるのよ。その原因となっているのがグランゼコール。どこの大学を出たかはほとんど問題にならないが、「グランゼコールを出たか」「どのグランゼコールを出たのか」は、ほぼ一生を左右するんだな。
グランゼコールはフランス全土の主要都市に約350校がある。やっぱりバカロレアを取らないと入れないから、広い意味では大学と同じ高等教育機関ってことになるが、難易度はまったく違うのよ。
まずは2年間の準備学級を終えないと入試すら受けさせてもられねえ。みんなここでバリバリ勉強するんだが、この準備学級自体も結構な難関で、進級できない学生もいる。この時点で脱落する連中もいるということだ。で、なんとかかんとか2年を終えると、ようやく各グランゼコールの入試を受けることができる。
詳しい倍率についてはつまびらかになっていないが、大変な狭き門だとされている。というのも、そもそも定員が少なくて、1学年が300~400人程度だからな。さらに、各校の人気の有無もはっきりしていて、フランス人なら誰でも知ってるグランゼコールってことになると、おおよそ上位1割程度ってことになる。そこへ入ろうと思ったらそりゃ大変ってわけだ。
バカロレア取得者のうち、大学に進むのが80%。結局進学しないのが15%いて、グランゼコールへ進むのは残りの5%弱だけ。中でも有名なグランゼコールに進むとなれば、これは日本で東大に入るよりもよっぽど難しいということになるな。
さてこのグランゼコールとは、いったい何なのか。完全にフランス独自のシステムなんで、なかなか理解しにくいんだが。番長流にざっくりご説明しよう。
日本にキャリア官僚っているだろ。たとえば警察官で考えようか。フツーに警察官になるんだったら、高卒の資格があればいい。で、各都道府県警察の採用試験を受ける。たとえば神奈川県警の警察官ってのは、神奈川県職員なんだな。首尾良く合格すると、まずは巡査を拝命する。
警察官の階級は巡査から始まって、巡査部長、警部補、警部、警視、警視正、警視長、警視監……と上がっていく。警察署ならだいたい警部で課長クラス、警視で署長クラスだ。上の階級へ進むには、昇任試験にパスしなきゃならねえ。巡査部長くらいは誰でもなれるんだが、その上は結構な難関。論文試験もあるんだぜ。階級が上がれば基本的に給料も上がるんだが、定年まで巡査部長って人もいる。
ところが、同じ警察の中にも、まったく違う採用経路の人がいる。国家公務員一種試験に受かり、警察庁に入った人たちだ。こちらは国家公務員。彼らのことをキャリアというわけだな。ほとんどは一流大学の出身だ。入庁するなりいきなり警部補から始まり、試験なんぞ受けなくてもポンポンと上の階級に上がる。
だから、地方の県警だと、県警本部で政治家の汚職事件なんかを指揮する捜査2課長が30歳そこそこだったりする。警察は完全なタテ社会だから、たたき上げのベテランも課長には敬語を使い、意に添わない命令にも従わなきゃならない。このへんの悲哀は、ドラマや小説でもよく取り上げられるよな。「踊る大捜査線」とかさ。
フランスの場合、このキャリア制度があまねくすべての職業に存在すると考えてもらえばいい。それも、官庁のみならず私企業でもだ。
どうやったらキャリアになれるのか? そう、グランゼコールを出ればいいのよ。
たとえば、日産CEOのカルロス・ゴーン。年8億9千万円の給料をもらっていることで話題になったが、彼はグランゼコールの中でも最上位の一つとされる「エコール・ポリテクニーク」と「パリ国立高等鉱業学校」の出身。卒業後はまずタイヤメーカーのミシュランに就職したんだが、入社3年目の27歳で工場長、31歳でブラジル・ミシュラン社の社長、35歳で北米子会社の社長になっている。もちろん本人の才能もあるんだが、こういう出世コースをたどれるのはグランゼコール出ならではだ。
これは極端な例だが、大企業で課長以上の管理職になったり、官公庁に勤めたりしたかったら、グランゼコールを出ているというのは必須の条件なのよ。

(パリ国立高等鉱業学校、ウィキペディアより)
グランゼコールってのは、職種別にある。たとえば「パリ国立高等鉱業学校」、「国立土木学校」「高等電気学校」なんてのがあって、それぞれ鉱業、土木、電気の分野でトップに立つ人間を育成する。「高等師範学校」ってのは大学などの教員養成。ほかにも、いわゆるMBAの資格を取るビジネススクールや、陸海空軍の士官学校もその範疇だ。
中でも別格なのが、ENAと書いてエナ。「国立行政学院」の略で、高級官僚を輩出するための学校だ。ここに入るためには、どこかヨソのグランゼコールを卒業してなきゃならねえのよ。ただ、努力をしただけの見返りはある。エナの卒業生のことをエナルクと呼ぶんだが、歴代の大統領・首相・大臣の多くがこのエナルクなのよ。
といった具合に、フランス社会ってのはグランゼコール出身者によって牛耳られてるんだな。
フランスの大学ってのは、常に定員よりも多い学生を抱えている。1980年代の後半まで、バカロレアを通ったぞという資格ってのは、同世代の10人中3人くらいしか持っていなかった。それが今では7割に近づきつつある。この20年くらいの間に進学志向がグッと強まったんだな。
つまり、20年前に比べて大学生の数ってのは倍以上に増えてることになる。おかげで教室はいつもいっぱい。備品は間に合わず、教員の目は行き届かない。だけど施設は更新もされずオンボロのまま。
それに比べるとグランゼコールは入り口でばっちり入学者の数を絞ってるから、充実した学生生活を送れるってわけだ。
学生の就職難は既にお伝えしたとおりだが、そんな中でもグランゼコール生だけは別格。日本でいうリクルーターみたいに、企業の側からお迎えがくるんだそうだ。インターンシップのお誘いもふんだん。一般の大学生からしてみりゃ、ただでさえ雇用の枠は少ないのに、おいしいところはグランゼコール生に全部持っていかれちまうってんで、恨み節のようだぜ。
一般市民からみた、エナルクを筆頭とするグランゼコール出身者に対する視線というのは、定年間近になっても巡査部長でいるようなおまわりさんが、東大出身のキャリアに対するときのソレだと考えてもらえばいい。ま、羨望と嫉妬の入り交じった感じだわな。でもって、そこにはあきらめの感情も入る。ああ、オレとは住む世界が別な連中だよ、ってな。
フツーに大学を出ただけの人が、立ちはだかる壁を打ち破って出生していくのは至難の業だ。そういう能力のある人は、大学を修めてからグランゼコールに入り直す。それくらい両者の格差ははなはだしいんだな。
問題なのは、このキャリアになる層が、どうも固定化されているということだ。
本来、勉強なんてのはやればやっただけ成果が出るもの。これ以上平等なものもねえ。だが、日本でも東大や京大といった一流大学に入る学生は、親の年収が一般の大学生よりも高いという調査があった。フランスでも同様で、グランゼコール生は富裕層に属している割合が高いと言われてるんだな。
考えてもみてくれ。フランスには受験産業ってものがほとんど存在していない。ということは、学校で教えてくれることを超えた部分の子どもの教育ってのは、親なり家庭に依存しているってことだ。もともと知識階級に属してなけりゃ無理ってわけだな。
都会と地方とでの差もある。パリには意識の高い家庭が多いから、高校生ともなればグランゼコールを目指す連中はそわそわし始める。ライバルも多いから切磋琢磨するわな。農村だとそうはいかないってわけだ。
さらに。フランスの学費ってのは非常に安くて、高校までは無料、大学も年にせいぜい数百ユーロなんだが。グランゼコールの学費は高い。ま、これもピンキリで、中にはゼロに近いところもあるんだが、技術系でおおむね年間1000ユーロ程度、ビジネススクールの場合には年7000ユーロを超えるところも珍しくない。
このへんもキャリア層固定化の一因だ。結局、カネもふんだんに用意できなきゃグランゼコールには入れないってんだな。フランスの学費が安いというのもよく言われる話で、確かにそうなんだが、それは「キャリアになるつもりがなければ」という条件が付く話なのよ。
よく、フランス人は人生を謳歌しているように見えるって言うだろ。週35時間しか働かないうえにバカンスをたっぷりとって、アートやら日曜大工やらにいそしんで、ってさ。その裏側には、どうやったってある程度以上の出世はできない、しなくていいという諦念があるように、番長には見えるぜ。
逆に、グランゼコール出のキャリアたちは、まあよく働く。寝食を惜しんで働く。グランゼコールに入るまでだってガリガリ勉強してきたんだろうに、ご苦労なこったよ。そこはそれ、エリートにはエリートとしての矜持があるわけだな。こういう人たちがいるから、フランスがいくらでたらめな国でも、一応は経済大国の位置におさまってるわけだ。
いや、まいったね。
フランスの学歴社会ぶりが、おわかりいただけたかな?

2010.06.30 (Wed)
「ソルボンヌ出身」さんが多すぎる!? ソルボンヌ大学とはなんぞや
まいったね。
有名?大学には、まいったね。
ようアンタ、フランスの大学と聞いて、どこが思い浮かぶかい。
少なからぬ人が、ソルボンヌ大学と答えたんじゃねえかな。
最近あんまりお目に掛からないが、いつもワイングラスを片手に持ってる髭男爵って芸人がいるだろ。あの二人組の男爵の方、山田ルイ53世は自称ソルボンヌ大学の出身を名乗っている、もちろんウソンコなんだが、そうやって使われるくらい代名詞的な存在ってこった。アメリカでいうハーバードやマサチューセッツ工科大みたいなもんだな。他にも漫画家にソルボンヌK子って名前の人がいる。由来は知らねえが、これも同じような理由で使ってるんだろう。
確かにソルボンヌは有名だ。起源を12世紀に持つヨーロッパでも最古の大学の一つで、著名人も多く学んでいる。ラジウム発見でおなじみのキュリー夫妻とか、サルトルやレヴィ・ストロースといったフランスを代表する知識人、さらにはヌーベルバーグの旗手として知られる映画監督のジャン・リュック・ゴダール、果ては日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルもそうだ。
だが、日本人の間ではこのソルボンヌに関して、いくつかの誤解があるようだな。
まず第一に。
ソルボンヌを比喩で表現するときに、フランスの頂点に位置する最高学府という意味で、「フランスの東大」みたいな言い方をすることがある。たとえばこのサイト。
が、これは間違い。前回の記事でも書いたとおり、フランスの大学ってのはバカロレアさえ通ればどの大学にでも自由に入れる。で、そのバカロレアには8割くらいの生徒が受かる。
つまり、ソルボンヌに通っているのはフツーの学生だ、ということだ。カッキンカキンの秀才が集まってるというのは思い違いなんで、気をつけてくれよな。
つぎ。ソルボンヌ大学という名前の大学は、実は存在しない。
今あるのはパリ大学で、ソルボンヌってのはこの旧称みたいなもんだ。創始者がソルボンさんって名前の人だったんだな。しかし、1969年にパリにあった大学は改組されて、第1から第13までのパリ大学として新たなスタートを切った。
じゃあソルボンヌとはいま何を指すのかというと、これはカルチェ・ラタンにある昔ながらの大学校舎、

(ウィキペディアより)
この建物自体を示すことが多い。壁に「ソルボンヌ」って名前も刻まれてるしな。
現在、中にはパリ大学のうち第1、第3、第4、第5の一部が入っている。さらには国立古文書学校、高等研究実習院なんていう高等教育機関も含む。
ちなみにパリ大学にはそれぞれに別称があって、この古いソルボンヌの建物に入っているうちの3つはそれぞれ、パリ第1大学「パンテオン・ソルボンヌ」、第3大学「ソルボンヌ・ヌーベル」、第4大学「パリ・ソルボンヌ」と、ソルボンヌの名を冠している。だが、第5大学は「ルネ・デカルト」。超有名哲学者の名前が取られていて、ソルボンヌは影も形もない。どうだい、だいぶ混乱をきたしてきただろ。
パリ大学の中身ってのは複雑怪奇だ。これが第1大学は哲学部のみ、第2大学は文学部のみ、みたいにスパッと分けてくれればわかりやすいんだが、実際にはいくつかの大学に同じ学部が存在している。医学部は第5、6、7、11、12、13大に、文学部は第3、4、10大にあるんだな。
このソルボンヌの建物に入っているのは、おおむね人文科学系統なんだそうだ。ところが、同じ学部にいる限りは同じ建物で学び続けられるかといえばさにあらず、学年によって別の校舎へ行かなきゃならなかったりする。
2001年のアメリカ同時多発テロ以降、所属する学生以外、このソルボンヌの古い建物の中にも自由に入ることはできなくなった。いよいよ外部からはよくわからねえ大学になっちまったぜ。
とりあえず、「ソルボンヌ大学という名前の大学は、現在は存在しない」「ソルボンヌとは建物の名前」ということだけ、今日は覚えて帰ってくれよな。
経歴で「パリ大学卒」と書かずに「ソルボンヌ大卒」としている人は、何かをごまかしている可能性がある。
番長、今回の記事を書くにあたってたまたま見つけたんだが。芸能プロダクション「太田プロ」のサイトに、高木美也子さんとおっしゃる方のプロフィールがあった。なんでもニュースキャスターなんかも務めた才女だそうだが、プロフィールに「パリ第7大学(通称ソルボンヌ大学)理学部博士課程終了」(ママ)とある。まず「終了」じゃねえだろとツッコミたくなるが、何よりも、パリ7大はどう転んでもソルボンヌじゃあねえ。
ま、ひょっとしたら事務所が勝手につくったものかもしれねえけどな。パリ大学の博士課程を修めているとすれば、こりゃもう十二分に凄いキャリア。だが、日本じゃソルボンヌ大学ってしとかないとイマイチ響かねえと思ったのかねえ。
さらに。
日本には「ソルボンヌで勉強しました」という元留学生がたくさんいる。中にはパリ大学をちゃんと卒業したという人ももちろんいるだろう。
だが、ほとんどは「ソルボンヌの建物の中に事務所がある『フランス文明講座』という名の語学学校に通いました」という手合いだ。語学学校だからまったくフランス語がわからなくっても、カネさえあれば入れる。
この手の人が「ソルボンヌ大学で……」と言っているとすれば、それは詐称。文明講座は大学ではないからだ。でも、ソルボンヌで勉強したとか、ソルボンヌを出たとか言う分にはウソじゃあねえのよ。うーん、まぎらわしいねえ。
ただし、同じ語学学校の中でも、フランス文明講座は宿題の量が多かったりと授業が厳しめなことで知られている。文明講座をちゃんと修了したってんなら、それはそれとして認めてやってもいいんじゃねえかとは思うぜ。
いや、まいったね。
自称ソルボンヌさんに会ったら、本当はどこで何を勉強したのか、きちんと確認したほうがいいかもしれねえぜ。

有名?大学には、まいったね。
ようアンタ、フランスの大学と聞いて、どこが思い浮かぶかい。
少なからぬ人が、ソルボンヌ大学と答えたんじゃねえかな。
最近あんまりお目に掛からないが、いつもワイングラスを片手に持ってる髭男爵って芸人がいるだろ。あの二人組の男爵の方、山田ルイ53世は自称ソルボンヌ大学の出身を名乗っている、もちろんウソンコなんだが、そうやって使われるくらい代名詞的な存在ってこった。アメリカでいうハーバードやマサチューセッツ工科大みたいなもんだな。他にも漫画家にソルボンヌK子って名前の人がいる。由来は知らねえが、これも同じような理由で使ってるんだろう。
確かにソルボンヌは有名だ。起源を12世紀に持つヨーロッパでも最古の大学の一つで、著名人も多く学んでいる。ラジウム発見でおなじみのキュリー夫妻とか、サルトルやレヴィ・ストロースといったフランスを代表する知識人、さらにはヌーベルバーグの旗手として知られる映画監督のジャン・リュック・ゴダール、果ては日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルもそうだ。
だが、日本人の間ではこのソルボンヌに関して、いくつかの誤解があるようだな。
まず第一に。
ソルボンヌを比喩で表現するときに、フランスの頂点に位置する最高学府という意味で、「フランスの東大」みたいな言い方をすることがある。たとえばこのサイト。
が、これは間違い。前回の記事でも書いたとおり、フランスの大学ってのはバカロレアさえ通ればどの大学にでも自由に入れる。で、そのバカロレアには8割くらいの生徒が受かる。
つまり、ソルボンヌに通っているのはフツーの学生だ、ということだ。カッキンカキンの秀才が集まってるというのは思い違いなんで、気をつけてくれよな。
つぎ。ソルボンヌ大学という名前の大学は、実は存在しない。
今あるのはパリ大学で、ソルボンヌってのはこの旧称みたいなもんだ。創始者がソルボンさんって名前の人だったんだな。しかし、1969年にパリにあった大学は改組されて、第1から第13までのパリ大学として新たなスタートを切った。
じゃあソルボンヌとはいま何を指すのかというと、これはカルチェ・ラタンにある昔ながらの大学校舎、

(ウィキペディアより)
この建物自体を示すことが多い。壁に「ソルボンヌ」って名前も刻まれてるしな。
現在、中にはパリ大学のうち第1、第3、第4、第5の一部が入っている。さらには国立古文書学校、高等研究実習院なんていう高等教育機関も含む。
ちなみにパリ大学にはそれぞれに別称があって、この古いソルボンヌの建物に入っているうちの3つはそれぞれ、パリ第1大学「パンテオン・ソルボンヌ」、第3大学「ソルボンヌ・ヌーベル」、第4大学「パリ・ソルボンヌ」と、ソルボンヌの名を冠している。だが、第5大学は「ルネ・デカルト」。超有名哲学者の名前が取られていて、ソルボンヌは影も形もない。どうだい、だいぶ混乱をきたしてきただろ。
パリ大学の中身ってのは複雑怪奇だ。これが第1大学は哲学部のみ、第2大学は文学部のみ、みたいにスパッと分けてくれればわかりやすいんだが、実際にはいくつかの大学に同じ学部が存在している。医学部は第5、6、7、11、12、13大に、文学部は第3、4、10大にあるんだな。
このソルボンヌの建物に入っているのは、おおむね人文科学系統なんだそうだ。ところが、同じ学部にいる限りは同じ建物で学び続けられるかといえばさにあらず、学年によって別の校舎へ行かなきゃならなかったりする。
2001年のアメリカ同時多発テロ以降、所属する学生以外、このソルボンヌの古い建物の中にも自由に入ることはできなくなった。いよいよ外部からはよくわからねえ大学になっちまったぜ。
とりあえず、「ソルボンヌ大学という名前の大学は、現在は存在しない」「ソルボンヌとは建物の名前」ということだけ、今日は覚えて帰ってくれよな。
経歴で「パリ大学卒」と書かずに「ソルボンヌ大卒」としている人は、何かをごまかしている可能性がある。
番長、今回の記事を書くにあたってたまたま見つけたんだが。芸能プロダクション「太田プロ」のサイトに、高木美也子さんとおっしゃる方のプロフィールがあった。なんでもニュースキャスターなんかも務めた才女だそうだが、プロフィールに「パリ第7大学(通称ソルボンヌ大学)理学部博士課程終了」(ママ)とある。まず「終了」じゃねえだろとツッコミたくなるが、何よりも、パリ7大はどう転んでもソルボンヌじゃあねえ。
ま、ひょっとしたら事務所が勝手につくったものかもしれねえけどな。パリ大学の博士課程を修めているとすれば、こりゃもう十二分に凄いキャリア。だが、日本じゃソルボンヌ大学ってしとかないとイマイチ響かねえと思ったのかねえ。
さらに。
日本には「ソルボンヌで勉強しました」という元留学生がたくさんいる。中にはパリ大学をちゃんと卒業したという人ももちろんいるだろう。
だが、ほとんどは「ソルボンヌの建物の中に事務所がある『フランス文明講座』という名の語学学校に通いました」という手合いだ。語学学校だからまったくフランス語がわからなくっても、カネさえあれば入れる。
この手の人が「ソルボンヌ大学で……」と言っているとすれば、それは詐称。文明講座は大学ではないからだ。でも、ソルボンヌで勉強したとか、ソルボンヌを出たとか言う分にはウソじゃあねえのよ。うーん、まぎらわしいねえ。
ただし、同じ語学学校の中でも、フランス文明講座は宿題の量が多かったりと授業が厳しめなことで知られている。文明講座をちゃんと修了したってんなら、それはそれとして認めてやってもいいんじゃねえかとは思うぜ。
いや、まいったね。
自称ソルボンヌさんに会ったら、本当はどこで何を勉強したのか、きちんと確認したほうがいいかもしれねえぜ。
