2010.03.05 (Fri)
イタいぜ!フランスかぶれ 「ラクして得するフランス人 まじめで損する日本人」吉村葉子先輩
まいったね。
パリ・ウイルスでとろけちまった脳みそには、まいったね。
本を紹介してアフィリエイトで小銭を稼ごうと立ち上げた「フランス本書評」カテゴリ。
前回は持ち上げようと思ったのにうまくいかなかったが、あれはたまたま。今回こそは頑張るぜえ。
ご紹介するのは、吉村葉子先輩だ。なんと出版なさった本の数が、これまでに30冊!(単行本の文庫化を含む)
そのいずれもがフランス関係という筋の通ったお方だ。
30冊って、フツーに出版できる数じゃないぜ。それだけ広く読者に受け入れられてるってことだ。こいつは期待できるじゃねえか。オコボレにあずかっていこうじゃねえか。
「オフィシャルサイト」もバッチリ存在する。プロフィールを拝見すると、

(朝日カルチャーセンターのサイトより)
30冊出版の重みだなあ。パリ生活20年の重みだよなあ。好評を得ているって自分のプロフィールに書いちゃったよ。
番長が拝読したのは、その数多い著作の中から2冊だ。
まずは2003年出版の「お金がなくても平気なフランス人 お金があっても不安な日本人」からいこうか。
このタイトル、あんまり掘り下げようがなさそうだよな。
私のまわりのフランス人はお金が無くても平気な顔をしてるのよ。日本人はお金があったって不安そうにしてるけど、ちょっとはフランス人を見習ったら! ってな説教を垂れられてオシマイになるんじゃねえかと。
これがなんと、その通りなのよ。
この本に何が書いてあるかは、目次だけ読めばわかるぜ。
抜粋してみよう。
たとえば、なんでコンビニがなくても困らないかというと、なければないでどうにでもなるから、だそうだ。
うん、そりゃそうだろうよ。って、それだけ?
ほかの見出しにしても、フランスの文化がどうというよりは、単なる気の持ちようの問題だよな。ブランド品に頼るなとか、安物でもいいとか。
どうもこの本、吉村先輩には言いたいことがもともとあって、フランスはそれに乗っけてるってだけ、って感じなんだよな。
しかし、そこそこの厚さがある単行本だ。先輩こんなんで中身持つんですか、って心配になっちまうよな。
大丈夫なのよ。
まずは活字が大きい。視力の弱ってきた世代にはありがたいね。
さらに、普通に書けば一行で終わるようなことを、ずいぶんもったいつけて書いてくれんのよ。
バゲットに板チョコ挟んだだけかよ!
それを、ひと工夫だとか、ほっぺたが落ちそうなほど美味しいとは、ずいぶん褒めたもんだなあ。塩むすびだってもうちょっと手間がかかってるぜ。
丸い卵も切りよで四角、ってヤツか。
もっとも、この本では吉村先輩の凄さはまだ、ほんのり垣間見える程度だ。
2006年に出された「ラクして得するフランス人 まじめで損する日本人」は、もっとパンチがきいてるぜ。
やはり人間としてのデキが違うってことなんだろうな。番長みたいな凡人が日ごろ毒づいているフランスの部分が、ぜんぶ正当化されてんのよ。
お、おう。確かにこいつは、フランスでしょっちゅう目にする光景だ。単なるオフィスならまだともかく、客商売の店舗や役所でも、客を無視して平気でくっちゃべってるんだよな、連中。
サービスのサの字も知らねえクソッタレ野郎どもだなと思ってたんだが、そうか、あのおしゃべりは私生活を満たすため、ひいては仕事にしっかり打ち込むためだったのか。ずいぶん都合の良い、もとい好意的な解釈だな。
しかし、黙って働いた方が仕事の能率は上がるんじゃないのかい。会社で十分な能力を発揮するってのは、番長にとってはそういうことなんだが。
そんな収穫いらねえよ。エッフェル塔を見せてくれよ。
番長は嫌いだぜ。
いやいや吉村先輩、ぜんっぜん「心ひそかに」なってませんから。
ひいきの引き倒しって言葉があるが、当のフランス人ですら心ある人は批判する、鉄面皮、無愛想、自分勝手な言動を、ここまで美化できるもんかね。
さすがに無理がありゃあしませんか。
しかし、先輩の暴走はこんなもんじゃ止まらないのよ。
財布が見つかったのに、恨んじゃったよ。
吉村先輩にとっては、パリの人情のなさ、こすっからさ、治安の悪さすら日本がマネるべき点なんだな。
ここまで来れば一本スジが通ってるよ。あっぱれだ。
しかし、一本ネジもはずれてるな。はっきり言って常軌を逸してるぜ。
これがパリ・ウイルスか!
パリ、パリィーッ!と叫びながら天に昇っていく先輩の様子、目に浮かぶようだぜ。なぜだか笑顔ではなく、顔を引きつらせているように見えるんだが。んー、これは昇天されたのではなく、あるいは谷底に落っこちていかれたのかな。
吉村先輩が遠い世界へと旅立たれたことは、「本音で語り、信頼関係で公共事業をすすめるフランス人」(p27)という節でもよくわかる。
ちと長くなるが、まずは通して読んでもらうことにしようか。
だいたいどういう話なのかはわかってもらえたかな。
それでは、順を追って見ていこう。
フランスには大学を超える最高等教育機関があるのはご存じだろうか。グランゼコールという。ENA(エナ)というのは、数あるグランゼコールの卒業生からさらに選抜されたスーパーエリートのみが入学を許される、フランスで最もステイタスの高い学校だ。特に政界や官界に多数の人材を輩出していて、大統領や首相のほとんどはここの卒業生なのよ。そういう意味じゃ、エナから建設会社に入るってのは確かに珍しいな。
おやおや?
この文章は、談合と贈収賄の区別ができてねえぜ。
「受注に賄賂が横行する」というのは、贈収賄だ。建設会社が政治家や役人にカネを渡して、今度つくるダムはうちの会社に受注させてください、とお願いする。よっしゃよっしゃワシに任せたまえと便宜を図る、っていうな。
談合ってのは、入札に参加する建設会社が密かに集まり、入札価格をあらかじめ決めておくことだ。
たとえば、普通に見積もると建設には1000億円くらいかかりそうだな、というダムの入札があったとする。一番安い価格をつければ落札できるから、950億円でもなんとかできるんじゃないか、いや930億円まで下げよう、なんて企業努力をするわけだな。
しかし、あんまり安くしすぎると儲けが減っちまう。そこで、馬鹿正直に競争なんかしてらんないと、ライバルであるはずの建設会社が結託して集まるわけだ。で、じゃあ今回はA建設さんに995億円で落札してもらうことにして、他の会社はみんな998億円って書くことにしましょう、その代わり次の事業はB建設さんね、なんて取り決めるわけだな。
これが談合だ。
賄賂の出番はないだろ。
なぜ取り違えが起きたのか。
さすがのスーパーエリートも、遠く離れた極東の事情まではご存じなかったか。だとすりゃ日本通の看板は即刻外していただきてえとこだぜ。
もっとも、贈収賄も談合も、洋の東西を問わずどこの国でもあることだ。談合ってのは要するに、カルテルの一種だからな。それを、そこらへんのチンピラならいざ知らず、エナルク(エナの卒業生)が間違うとは考えにくいぜ。
推測だが、おそらくは聞き手の吉村先輩に知識がなかったんだろう。だいたい、「建設会社を震撼させる談合」って書きぶりが既におかしいんだよ。日常茶飯事だっての。
そりゃあさ、しょうがねえよ。番長だって人のことは言えねえ。知識ってのは限りがないからな、すべてを知ることは不可能だ。
しかし、このくだりは吉村先輩が、フランス人の言葉を介して日本の後進性をぶった切ろうというお話なのよ。なのに基本的なことがわかっていない。
豆腐を食べて「甘くないからマズイ」って言うようなもんだからな。エッセーだからと言ってそりゃねえよ。
そんな番長の声が届くわけもなく、吉村先輩の親友の建設会社部長のジャンさん、のオトモダチの官僚のお話は続く。
ちと待たんかいコラ。ご高説、ちょっと聞いただけではもっともなようだが。
信頼関係で選ぶと言えば言葉はいいが、役人が自分の好きな企業に工事を発注するってことだろ。
見積価格がどれだけ低くくても選ばないというのは、競争入札制度を否定しているということだ。つまりは自由競争、市場原理の否定だぜ。
これは、役人のさじ加減一つで受注先を変えるという宣言に他ならねえ。
建設会社は価格を工夫することよりも、役人の顔色を伺うことに懸命になる。賄賂ってのはな、そういう構造のところにこそ生まれるのよ。
オウオウオウ、だいたいオマエら。
さっきから黙って聞いててやってたが、元同級生とは言え役人と建設業者の関係だろうが。
だからジャンは建設会社に入ったんだよな。官僚に友だちがたくさんいれば、コネを使って有利な条件で事業を受注できるからよ。
首相や大統領にさえなれる道を蹴って建設会社に入ってるんだ、そりゃ相当なうまみがあるんだろうぜ。
たとえばこんなうまみだ。
ホントは1000億円で済む工事も、キミんとこは信頼できるからな、信頼に足る工事にはカネがかかるからなと言って、1500億円で発注してもらう。別にどれだけ高くってもいいんだ、どうせ税金だし。で、ジャンは友だち連中の役人にキックバックをする。500億円が儲かるんだ、100億円くらい戻したってどうってことねえからな。
ああなるほど、題名の「ラクして得するフランス人」ってのはそういう意味だったのかい。なかなか深いねえ。
案の定、この話のシメはこうだ。
噴飯モノとはこのことだぜ。
吉村先輩は倒置法まで使って得意気だが、やっぱり昔なじみの仲間に仕事をやってたわけだな。
いや、ひょっとしたら彼らの関係には何の後ろ暗いところもないのかもしれねえよ。それに、日本の建設業界が素晴らしいってわけでもねえ。
だが、ごく客観的に見て、このパーティーはうさんくさい。オマエらに贈収賄についてやいやい言われる筋合いはまったくないぜ。
バゲットに板チョコ突っ込んだものを絶品グルメみたいに言ったり、郵便局のおばはんの無愛想を誉めそやしたりは、まあアンタの勝手だよ。
このくだりはまったくいただけないな。
どうして背伸びをしちゃったんだろうねえ。
やっぱり社会問題にもちっとは斬り込んでおかなきゃ、なーんて思っちまったのかな。
いや、まいったね。
コイツはやっぱり、カネを出してまで読むような本じゃないとしか言いようがないぜ。
どうも番長、商売は向いてないのかもしれねえな。マジメにコツコツ働くか。

パリ・ウイルスでとろけちまった脳みそには、まいったね。
本を紹介してアフィリエイトで小銭を稼ごうと立ち上げた「フランス本書評」カテゴリ。
前回は持ち上げようと思ったのにうまくいかなかったが、あれはたまたま。今回こそは頑張るぜえ。
ご紹介するのは、吉村葉子先輩だ。なんと出版なさった本の数が、これまでに30冊!(単行本の文庫化を含む)
そのいずれもがフランス関係という筋の通ったお方だ。
30冊って、フツーに出版できる数じゃないぜ。それだけ広く読者に受け入れられてるってことだ。こいつは期待できるじゃねえか。オコボレにあずかっていこうじゃねえか。
「オフィシャルサイト」もバッチリ存在する。プロフィールを拝見すると、

(朝日カルチャーセンターのサイトより)
神奈川県藤沢市に生まれる。立教大学経済学部を卒業。
20年間のパリ生活から得た見聞をもとに、日仏の文化のちがいを
とおして、よりよい生き方を模索する著作が好評を得ている。
30冊出版の重みだなあ。パリ生活20年の重みだよなあ。好評を得ているって自分のプロフィールに書いちゃったよ。
番長が拝読したのは、その数多い著作の中から2冊だ。
まずは2003年出版の「お金がなくても平気なフランス人 お金があっても不安な日本人」からいこうか。
このタイトル、あんまり掘り下げようがなさそうだよな。
私のまわりのフランス人はお金が無くても平気な顔をしてるのよ。日本人はお金があったって不安そうにしてるけど、ちょっとはフランス人を見習ったら! ってな説教を垂れられてオシマイになるんじゃねえかと。
これがなんと、その通りなのよ。
この本に何が書いてあるかは、目次だけ読めばわかるぜ。
抜粋してみよう。
「フランスにコンビニはない。でも別に困らない」
「残り野菜が次の日のご馳走になる」
「ブランド品-私らしさを表現するには邪魔」
「古くても、安物でも、自分が気に入ったらそれでいい」
「お金は万能選手なんかじゃない」
「ディズニーランドは子供の遊び場」
「義理と冠婚葬祭にお金はいらない」
たとえば、なんでコンビニがなくても困らないかというと、なければないでどうにでもなるから、だそうだ。
うん、そりゃそうだろうよ。って、それだけ?
ほかの見出しにしても、フランスの文化がどうというよりは、単なる気の持ちようの問題だよな。ブランド品に頼るなとか、安物でもいいとか。
どうもこの本、吉村先輩には言いたいことがもともとあって、フランスはそれに乗っけてるってだけ、って感じなんだよな。
しかし、そこそこの厚さがある単行本だ。先輩こんなんで中身持つんですか、って心配になっちまうよな。
大丈夫なのよ。
まずは活字が大きい。視力の弱ってきた世代にはありがたいね。
さらに、普通に書けば一行で終わるようなことを、ずいぶんもったいつけて書いてくれんのよ。
ブランジェリーで買ったパン・オ・ショコラもたまにはいいけれど、ママたちはひと工夫。ほっぺたが落ちそうなほど美味しくて、お金のかからないア・ラ・メゾン(自家製)のバゲット・オ・ショコラを用意する。
昼食に残ったバゲットと、買いおきのシンプルな板チョコがあればいい。子供一人分で10センチほどのバゲットに、たてに切込みを入れる。サンドイッチを作るときの要領で、そこにポンと割った板チョコを挟んでできあがり。
(p22-23)
バゲットに板チョコ挟んだだけかよ!
それを、ひと工夫だとか、ほっぺたが落ちそうなほど美味しいとは、ずいぶん褒めたもんだなあ。塩むすびだってもうちょっと手間がかかってるぜ。
丸い卵も切りよで四角、ってヤツか。
もっとも、この本では吉村先輩の凄さはまだ、ほんのり垣間見える程度だ。
お金がなくても平気なフランス人 お金があっても不安な日本人
(2003/10)
吉村 葉子
商品詳細を見る
オバサマがウットリしながら説教を垂れているだけの本。フランスはその説教を正当化するための道具として使われているだけだった。
2006年に出された「ラクして得するフランス人 まじめで損する日本人」は、もっとパンチがきいてるぜ。
やはり人間としてのデキが違うってことなんだろうな。番長みたいな凡人が日ごろ毒づいているフランスの部分が、ぜんぶ正当化されてんのよ。
勤務時間中だというのに、だれに憚ることなく、2人の女性が正々堂々としゃべっている。隣の席では彼女たちの同僚が、いつもどおりにパソコンに向かいキーボードをたたいている。彼女たちの話し声が聞こえないわけではないけれども、だれ一人として彼女たちに眉をひそめたりはしない。
(中略)
個人を大切にするのが主義とばかりに、仕事にプライバシーを持ち込む。(中略)プレジデントもディレクターと呼ばれる部長も平社員もだれもかれも、スタッフの一人一人が私生活で満ち足りてこそ、会社で十分な能力を発揮できると確信しているのである。
(p31-32)
お、おう。確かにこいつは、フランスでしょっちゅう目にする光景だ。単なるオフィスならまだともかく、客商売の店舗や役所でも、客を無視して平気でくっちゃべってるんだよな、連中。
サービスのサの字も知らねえクソッタレ野郎どもだなと思ってたんだが、そうか、あのおしゃべりは私生活を満たすため、ひいては仕事にしっかり打ち込むためだったのか。ずいぶん都合の良い、もとい好意的な解釈だな。
しかし、黙って働いた方が仕事の能率は上がるんじゃないのかい。会社で十分な能力を発揮するってのは、番長にとってはそういうことなんだが。
それにしても、パリの郵便局の無愛想なおばちゃんたちの顔が目に浮かぶ。フランスではサービスはただではない、ということを実感できれば、それがパリ旅行最大の収穫である。
(p37)
そんな収穫いらねえよ。エッフェル塔を見せてくれよ。
なにかにつけて、フランス人は「ノン!」を連発する人たちである。
(中略)
人にもモノにも、とことん気に入ったときだけ食指を動かす彼女たちの気難しさが、私は好きだ。
(ページ数失念)
番長は嫌いだぜ。
もしも来世があるとしたら私も、多感なパリジェンヌになって生まれてきたいものだと心ひそかに願う。
(あとがき)
いやいや吉村先輩、ぜんっぜん「心ひそかに」なってませんから。
ひいきの引き倒しって言葉があるが、当のフランス人ですら心ある人は批判する、鉄面皮、無愛想、自分勝手な言動を、ここまで美化できるもんかね。
さすがに無理がありゃあしませんか。
しかし、先輩の暴走はこんなもんじゃ止まらないのよ。
出張で東京を訪れたピエールが、お財布をなくした。(中略)なくなったからといっても彼には、まったく探す気がなかった。数万円の現金とカード一式が入っているお財布が出てくるはずがないと、ピエールは諦めていたからである。(中略)ところが、あろうことか、奇跡が起きてしまった。数時間後、なくなったはずのピエールのお財布が、中身が手付かずのまま見つかった。(中略)そして私は内心、彼のお財布が出てきたことを恨んだ。
東京は国際都市というだけでなく、世界に冠たるビッグシティーなのである。だから大都会の沽券にかけても、なくしたお財布が見つかってはいけない。(中略)世界的な大都市である東京だけでも、怖い町だと彼らに思わせなくてはいけない。安全で楽しい町だと彼らが感じるとしたら、それは彼らが日本のことも日本人のことも、舐めてかかっているということなのだから。
(p200-202、強調は引用者)
財布が見つかったのに、恨んじゃったよ。
吉村先輩にとっては、パリの人情のなさ、こすっからさ、治安の悪さすら日本がマネるべき点なんだな。
ここまで来れば一本スジが通ってるよ。あっぱれだ。
しかし、一本ネジもはずれてるな。はっきり言って常軌を逸してるぜ。
これがパリ・ウイルスか!
パリ、パリィーッ!と叫びながら天に昇っていく先輩の様子、目に浮かぶようだぜ。なぜだか笑顔ではなく、顔を引きつらせているように見えるんだが。んー、これは昇天されたのではなく、あるいは谷底に落っこちていかれたのかな。
吉村先輩が遠い世界へと旅立たれたことは、「本音で語り、信頼関係で公共事業をすすめるフランス人」(p27)という節でもよくわかる。
ちと長くなるが、まずは通して読んでもらうことにしようか。
親友の一人に、国立行政学院(ENA)の卒業生がいる。同窓生のほとんどが官僚になっている中で親友のジャンだけが、民間の建設会社の財務部長である。毎年六月末の金曜の晩に、仲間たちがジャンの家に集まる。
(中略)
日本を熟知する彼らならではの意見も、私には貴重だった。ダンゴウについての意見は、まことに彼らしかった。建設業界を震撼させる、談合のことである。「日本では、ダンゴウが厳しく罰せられても、なくなりませんね。発展途上国のように、受注に賄賂が横行するのはおかしい。国民の税金を任されている省庁は、より安く、より高レベルの信頼できる業者を厳選し、工事を発注する義務がある。骨董品のオークションではないのだから、金額だけで決めるのはおかしいですよ。公共事業を発注する立場の僕たちにとって、もっとも大切なのは信頼関係なのです。国民に損をさせないように、国民の利益を守るために、安全で公正な業者に工事を発注しなくてはいけない。仕事が粗雑でトラブルの多い会社を、見積価格が低いからという理由だけで選んだら、いい結果にならないでしょう。最終的に損をこうむるのは、国民なのです。やはり肝心なのは、僕たちが保証できる業者を選ぶことなのです」
その話を満足げに聞いていたジャンが、最後にこういった。
「だから彼は、僕の会社に建設工事を発注したのですよ」と。
だいたいどういう話なのかはわかってもらえたかな。
それでは、順を追って見ていこう。
親友の一人に、国立行政学院(ENA)の卒業生がいる。同窓生のほとんどが官僚になっている中で親友のジャンだけが、民間の建設会社の財務部長である。毎年六月末の金曜の晩に、仲間たちがジャンの家に集まる。
フランスには大学を超える最高等教育機関があるのはご存じだろうか。グランゼコールという。ENA(エナ)というのは、数あるグランゼコールの卒業生からさらに選抜されたスーパーエリートのみが入学を許される、フランスで最もステイタスの高い学校だ。特に政界や官界に多数の人材を輩出していて、大統領や首相のほとんどはここの卒業生なのよ。そういう意味じゃ、エナから建設会社に入るってのは確かに珍しいな。
日本を熟知する彼らならではの意見も、私には貴重だった。ダンゴウについての意見は、まことに彼らしかった。建設業界を震撼させる、談合のことである。「日本では、ダンゴウが厳しく罰せられても、なくなりませんね。発展途上国のように、受注に賄賂が横行するのはおかしい。国民の税金を任されている省庁は、より安く、より高レベルの信頼できる業者を厳選し、工事を発注する義務がある。
おやおや?
この文章は、談合と贈収賄の区別ができてねえぜ。
「受注に賄賂が横行する」というのは、贈収賄だ。建設会社が政治家や役人にカネを渡して、今度つくるダムはうちの会社に受注させてください、とお願いする。よっしゃよっしゃワシに任せたまえと便宜を図る、っていうな。
談合ってのは、入札に参加する建設会社が密かに集まり、入札価格をあらかじめ決めておくことだ。
たとえば、普通に見積もると建設には1000億円くらいかかりそうだな、というダムの入札があったとする。一番安い価格をつければ落札できるから、950億円でもなんとかできるんじゃないか、いや930億円まで下げよう、なんて企業努力をするわけだな。
しかし、あんまり安くしすぎると儲けが減っちまう。そこで、馬鹿正直に競争なんかしてらんないと、ライバルであるはずの建設会社が結託して集まるわけだ。で、じゃあ今回はA建設さんに995億円で落札してもらうことにして、他の会社はみんな998億円って書くことにしましょう、その代わり次の事業はB建設さんね、なんて取り決めるわけだな。
これが談合だ。
賄賂の出番はないだろ。
なぜ取り違えが起きたのか。
さすがのスーパーエリートも、遠く離れた極東の事情まではご存じなかったか。だとすりゃ日本通の看板は即刻外していただきてえとこだぜ。
もっとも、贈収賄も談合も、洋の東西を問わずどこの国でもあることだ。談合ってのは要するに、カルテルの一種だからな。それを、そこらへんのチンピラならいざ知らず、エナルク(エナの卒業生)が間違うとは考えにくいぜ。
推測だが、おそらくは聞き手の吉村先輩に知識がなかったんだろう。だいたい、「建設会社を震撼させる談合」って書きぶりが既におかしいんだよ。日常茶飯事だっての。
そりゃあさ、しょうがねえよ。番長だって人のことは言えねえ。知識ってのは限りがないからな、すべてを知ることは不可能だ。
しかし、このくだりは吉村先輩が、フランス人の言葉を介して日本の後進性をぶった切ろうというお話なのよ。なのに基本的なことがわかっていない。
豆腐を食べて「甘くないからマズイ」って言うようなもんだからな。エッセーだからと言ってそりゃねえよ。
そんな番長の声が届くわけもなく、吉村先輩の親友の建設会社部長のジャンさん、のオトモダチの官僚のお話は続く。
骨董品のオークションではないのだから、金額だけで決めるのはおかしいですよ。公共事業を発注する立場の僕たちにとって、もっとも大切なのは信頼関係なのです。国民に損をさせないように、国民の利益を守るために、安全で公正な業者に工事を発注しなくてはいけない。仕事が粗雑でトラブルの多い会社を、見積価格が低いからという理由だけで選んだら、いい結果にならないでしょう。最終的に損をこうむるのは、国民なのです。やはり肝心なのは、僕たちが保証できる業者を選ぶことなのです」
ちと待たんかいコラ。ご高説、ちょっと聞いただけではもっともなようだが。
信頼関係で選ぶと言えば言葉はいいが、役人が自分の好きな企業に工事を発注するってことだろ。
見積価格がどれだけ低くくても選ばないというのは、競争入札制度を否定しているということだ。つまりは自由競争、市場原理の否定だぜ。
これは、役人のさじ加減一つで受注先を変えるという宣言に他ならねえ。
建設会社は価格を工夫することよりも、役人の顔色を伺うことに懸命になる。賄賂ってのはな、そういう構造のところにこそ生まれるのよ。
オウオウオウ、だいたいオマエら。
さっきから黙って聞いててやってたが、元同級生とは言え役人と建設業者の関係だろうが。
だからジャンは建設会社に入ったんだよな。官僚に友だちがたくさんいれば、コネを使って有利な条件で事業を受注できるからよ。
首相や大統領にさえなれる道を蹴って建設会社に入ってるんだ、そりゃ相当なうまみがあるんだろうぜ。
たとえばこんなうまみだ。
ホントは1000億円で済む工事も、キミんとこは信頼できるからな、信頼に足る工事にはカネがかかるからなと言って、1500億円で発注してもらう。別にどれだけ高くってもいいんだ、どうせ税金だし。で、ジャンは友だち連中の役人にキックバックをする。500億円が儲かるんだ、100億円くらい戻したってどうってことねえからな。
ああなるほど、題名の「ラクして得するフランス人」ってのはそういう意味だったのかい。なかなか深いねえ。
案の定、この話のシメはこうだ。
その話を満足げに聞いていたジャンが、最後にこういった。
「だから彼は、僕の会社に建設工事を発注したのですよ」と。
噴飯モノとはこのことだぜ。
吉村先輩は倒置法まで使って得意気だが、やっぱり昔なじみの仲間に仕事をやってたわけだな。
いや、ひょっとしたら彼らの関係には何の後ろ暗いところもないのかもしれねえよ。それに、日本の建設業界が素晴らしいってわけでもねえ。
だが、ごく客観的に見て、このパーティーはうさんくさい。オマエらに贈収賄についてやいやい言われる筋合いはまったくないぜ。
バゲットに板チョコ突っ込んだものを絶品グルメみたいに言ったり、郵便局のおばはんの無愛想を誉めそやしたりは、まあアンタの勝手だよ。
このくだりはまったくいただけないな。
どうして背伸びをしちゃったんだろうねえ。
やっぱり社会問題にもちっとは斬り込んでおかなきゃ、なーんて思っちまったのかな。
ラクして得するフランス人 まじめで損する日本人
(2006/02/16)
吉村 葉子
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フランス人のすることならなんでもステキ!という、彼岸の人となり果ててしまった日本人の書いたトンデモ本。この手の本の中でも群を抜いてヒドイ出来。
いや、まいったね。
コイツはやっぱり、カネを出してまで読むような本じゃないとしか言いようがないぜ。
どうも番長、商売は向いてないのかもしれねえな。マジメにコツコツ働くか。

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2010.03.01 (Mon)
おとぼけマダムのとんちんかん問答 「地震がくるといいながら高層ビルを建てる日本」 デュラン・れい子先輩
まいったね。
フランス本には、まいったね。
記事の新しいカテゴリを立ち上げたぜ。
その名も「フランス本書評」。フランス在住の諸先輩方がお書きになった本を、恐れ多くも番長が、独断と偏見でざっくりと評させていただこうじゃねえかという、身勝手極まりない企画なのよ。
普段から番長の物言いに多少の共感を覚えてくださる方であれば、何かの参考にはなるだろう。違和感しか感じないという方でも、なのに見に来てんのかいアンタも好きだねえ、番長の評価をひっくり返すという方法で役に立ててもらえるんじゃねえかな。
へへっ、実のところ番長も、アマゾンのアフィリエイトってのを一回やってみたかったってのもあるのよ。
この記事を通じてご紹介する本を買う人がいれば、チャリンチャリンの小銭が番長の懐に舞い込むって寸法らしい。
そのへん、あらかじめ断っておくぜ。
さて、今回とりあげさせていただくのは、デュラン・れい子先輩。
1976年にスウェーデン人と結婚なさってからオランダ、ブラジルなどでの生活を経て現在は南仏はプロヴァンスに住んでらっしゃるというマダムだ。
もともとは博報堂のコピーライターで、芸術家としても知られているという多彩な才能の持ち主。執筆活動なんてのは余芸なのよ、余芸。還暦を過ぎてからの出版なのにたちまちベストセラーになったというから凄いねえ。
今回番長が拝読したのは一作目の「一度も植民地になったことがない日本」と二作目の「地震がくるといいながら高層ビルを建てる日本」。
まずは「地震がくるといいながら高層ビルを建てる日本」の方から拝見するとしようか。
先輩は成田空港から東京都心に向かうリムジンバスの車内から超高層ビル群を眺め、こんな風に書く。
時差ボケの頭でリムジンに揺られながら、私はいつも思う。こんな高いビルを建てて、大地震がきたときのことを考えているのかしら? 確かに日本の建設技術はすぐれているだろう。しかし、「それが本当に試されたことはない、つまり保証はない」と考えるのがヨーロッパ人なのだ。
(p18)
なんだなんだ、ヨーロッパ礼賛か? と思いきや、そうじゃねえんだこのお方は。
直後、こう続く。
ところが日本にしばらくいると(だいたい1週間ぐらいのうちには)、そんなことはケロリと忘れる。
コンビニの本のコーナーで見つけた「大震災の際、どうやって自宅まで帰り着くか」という地図や、「大震災のときには、これだけは持って逃げてください」というサバイバル・キットなどを目にして、そのたびに毎回ただただ感心。「うん、日本の母も高齢だし、もし私が都心にいて大地震がきたら、母のところまで歩いて帰ることを考えておかなければいけないな」と思ったり、「このサバイバル・キットは、母のベッドの下にでも置いておいたほうがいい」とかは考える。
しかし数分後にはケロリと忘れ、地下何十メートルという地下鉄に乗って初めて気づく。
「ああそうだ、今ここで大地震がきたら、私はたぶん地上には出られないだろうな」
そうなると緊急避難地図やサバイバル・キットがまたまた目に浮かぶが、2~3日のうちにはケロリと忘れてしまう。確かに夫の言うように、日本人は超楽天的な国民性なのかもしれない。私も含めて「自分だけは助かるかもしれない」と思っているのかも。
(p19-20)
いや先輩、そんなのアンタだけだよ!
どうだい、この予想外の展開。
日本の法律は耐震基準が非常に厳しく、超高層ビルも大震災に耐えられるように建設されているから大丈夫だろう、と、日本人は思ってるんだぜ。
実際、阪神大震災では高層ビルや鉄筋コンクリートのマンションにはほとんど被害がなく、死者の8割に当たる5000人は木造家屋の下敷きになったっていうからな。
もちろん、耐震強度偽装事件(姉歯事件)の経験を考えれば完全に安心とは言えないけど、そうした問題を教訓に国土交通省は建築基準法を改正し、建築業界はそれに応じて、ともかく、そういう科学的な根拠があるから信頼を置いてるの。超楽天的でケロリと忘れてしまうからじゃないの。ね。
このあと、れい子先輩の議論は、自然を克服するのがヨーロッパの発想、自然と共存するのが日本の発想、という方向でなぜだか落ち着く。
地震に対して超高層ビルを建てることの何が自然と共存する発想なのか、良くも悪くも日本が世界に冠たる土建国家であることをご存じないのか、ともかく話がトンチンカン。ひとりよがりの一人相撲としか言いようがねえ。
表題の部分からしてこの調子だから、後は推して知るべし。
とにかく、そこらへんにいるフツーのおばさまがティータイムかなんかにくっちゃべったことが、そのまま活字になってるという感じなんだな。
しかし、こいつはおしゃべりじゃねえ、書籍だろ。自分の言ったことに根拠があるのかどうか、ちったあ調べてもらうわけにはいかなかったかな。
そのくせ、ひとこと意見を言いますよ、物事をぶったぎりますよ、みたいな雰囲気を出すからタチが悪いぜ。
地震がくるといいながら高層ビルを建てる日本 (講談社プラスアルファ新書)
(2008/05)
デュラン れい子
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著者のデュラン・れい子おばさまのひとりよがりなおしゃべりを聞かされる感覚。そういう介護ボランティアだったとしてもしんどいのに、まして金を払って読む人がいるなんてな。話に含蓄があるわけでも、着眼点が斬新なわけでもないのにベストセラーになったという、奇跡みたいな本。
ちなみに「一度も植民地になったことがない日本」の方は、
(れい子先輩のスウェーデン人の夫曰く)「日本は運がいい。いや、運がいいのではなく頭がよかったのだろうな。だって織田信長のころ宣教師が来日したときや、徳川時代の終わりに西欧の国々が日本に開国をせまったときも、植民地になる危機があったわけだろ?」
ハッとした。そういう考え方を日本の学校の歴史の時間に習った覚えがなかったからだ。たぶん、今の日本の中学生、高校生も習っていないだろう。幕末の日本人の中で、アフリカや南米と同じように日本が植民地になるという恐怖を抱いた人が、はたしていたのだろうか。
(p91-92)
ノックしてもしもぉーし!
坂本龍馬、知らないんですかぁ!
司馬遼太郎の作品、一冊くらい読んだことありませんかぁ!
どうして今の日本の中高生が、ご自身とおんなじだと決めつけちゃうんですかぁ!
みんながみんなボンヤリしてるわけじゃないんですよぉ~ぉっとくらあ。
とまあ、一事が万事、こんな感じでね。
全般的には、日本ってこんなにヨーロッパでも褒められてるのよ、ヨーロッパに比べてもこんなに凄いのよ、といったトーン。
で、こんなところはヨーロッパを見習ったら、ってこともちょこっと書いてある。もっとも、お年寄りには席を譲れとか、そんな程度なのよ。刻んだ年輪の割には、話の底が浅いぜ!

(ウェブサイト「デュラン・れい子 応援団」より)
でも、なんか憎めないんだよねこの人。
天然ボケと言ったら失礼かな。理屈は通ってないが、余計なカドも立ってないのよ。
理屈が取ってない上にカドが立ちまくってるマークス寿子みたいなのに比べると、ずいぶん品がいいというか。
先輩に対してずいぶんな口の利き方だとは思うが、育ちの良さを感じさせるな。
とは言え、まあ総じて言って、外国に1年くらい住んだ日本人留学生でも、もうちょっと気の利いたことを言うんじゃねえか、というレベルだな。
一度も植民地になったことがない日本 (講談社+α新書)
(2007/07/20)
デュラン れい子
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日本人だからと言って日本を語れる、語っていいってわけじゃあないんだな、という勉強にはなったぜ。しかし、そんなことのために貴重なカネや時間を費やさなくってもいいわな。
いや、まいったね。
本をプッシュして小銭ザックザクてなつもりだったんだが、この方の本はカネを出して買うほどのもんじゃねえとしか番長には言いようがないぜ。
やれやれ、こいつはアテがはずれたな!

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