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2010.05.10 (Mon)

コルシカ、トリコロールの見えない島 移民国家フランス番外編

 まいったね。
 移民のような原住民には、まいったね。


 これまで、移民国家フランスの問題や矛盾をいくつか取り上げさせてもらった。余計な世話なのかもしれんが、いずれも日本じゃほとんど知られてねえような気がしたもんだからな。
 この移民、ほとんど世界中から集まっていると言ってもいいくらいだ。ヨーロッパ近隣諸国からの移民に加えて、アフリカや東南アジア、さらには中米のギアナといった旧植民地からの移民も多い。
 ところがだ。こいつは何の客観性もない、おなじみ番長による独断と偏見なんだが、実感としてフランスではアラブ系の移民ばかりが鼻つまみ者扱いをされている、有り体に言えば嫌われているように見えるんだな。

 一体なぜなのか。
 フランスという国は、フランス的な価値観を受け入れて同化する者にとっては、とても寛大な国だ。
 フランスの文化を受け入れ、フランス語を話し、フランスの大学で学位を取るような若者であれば、肌の色に関係なくどんな人間に対しても平等に接する。少なくともそういう建前になっていて、その建前はまあまあ守られている。
 そういう意味では、多くの日本人にとっては、フランスというのは住みやすい場所だ。日本人はまじめだからフランス語を一生懸命勉強するし、周囲にとけ込もうと努力する。「郷に入っては郷に従え」という考え方を元来持っているからな。こういう姿勢はフランス人にとって、ういヤツういヤツちこう寄れ、と歓迎されるわけだ。

 もっとも、たとえば採用人数が1人こっきりという就職試験があったとして、能力も人柄もまったく条件の同じ2人の候補者が残ったとしよう。1人が白人で1人が有色人種だったとしたら、さてどちらが選ばれるか。ほとんどは前者だよ。
 こういう差別ってのは今も存在して、フランス語では「ディスクリミナシオン・パッシブ」(消極的差別)という。そんなことだから、同化なんてのは白いフランス人にとって都合のいい物言いでしかないんじゃねえかという疑念は消えねえんだが、そいつはちょいと置いておこうか。
 ともかく、建前としては、フランス教とでも言うべきフランスの価値観に従うことができれば、その人はフランス人として歓迎されるんだな。


 その裏返しとしてフランスは、フランス的価値観を受け入れない者、自分たちに従わない者に対しては非常に冷たい。そりゃあもう情け容赦ねえ。
 そして、アラブ系移民はフランス人から見ると、その価値観を受け入れていないように見えるんだな。

 まず一つに、イスラム教徒だということがある。仏教なんかと違って、イスラム教徒の生活習慣は、元来キリスト教徒であるフランス人のそれとは相容れないことが多い。その筆頭がスカーフでありブルカだ。一夫多妻制もそうだ。
 それから、アラブ系がゲットーに隔離されていて、フランス人と交わる機会がないという理由もある。もっとも発端は、フランス政府の政策なんだがな。パリには安い住宅がないってんで、何の気なく郊外へと住まわせたのよ。今ではゲットーと化し、外部との間に高い壁を作っちまった。
 他にも、たとえば中国人はパリ市南部の13区、イタリア広場の南側にヨーロッパ最大と言われる中華街をつくっていて、北部の18区や19区にも規模は小さいが同じような地域がある。で、やっぱり同化しねえもんだから、フランスでは差別的に扱われることも多い。それでもアラブ系ほど目立たないのは、人口規模が小さいからだろう。フランス全土にムスリムが600万人いるのに対し、中国系の移民は80万人程度と言われているからな。


 ともあれ、アラブ系は肌の色が違うから嫌われるんじゃなく、フランスで良しとされる考え方に従わない、少なくともフランス人からは従っていないように見えるから、とりわけ嫌われてるんだな。
 そういうフランスの態度は肌の色に関係がないということは、あの島を見ればすぐにわかる。
 地中海に浮かぶ、かのナポレオン・ボナパルトの故郷。
 そうよ、コルシカよ。


 広島県ほどの大きさの島に人口約30万人。コルシカの人々は自分たちは自立した民族だという意識が強く、一定の自治を認められた議会を持つ。島内ではコルシカ語も流通してるぜ。
 もっとも、観光でコルシカを訪れても、コルシカ語を耳にする機会はまずないだろう。一般に使われている言葉はほとんどフランス語だけだ。
 コルシカは歴史上、イタリアの都市国家ピサ、同じくジェノヴァに長らく支配され、その後フランスの支配下に移った。
 島民は古くから反乱を起こしてきたんだが、いずれも制圧されちまった。しかし、ジェノヴァの支配下にあった1755年には、一度独立政府をつくり、独立を宣言してるんだな。あんまり手を焼くんでジェノヴァはついにさじを投げ、強い軍隊を持っていたフランスに統治を任せた。フランスはコルシカを併合し、そのまま現在に至るってわけだな。
 歴代の支配者達から、コルシカの人々は辺境の島の野蛮な民だとみなされ、長らく開発もされずに放置されてきた。
 第二次大戦が終わると多少はフランス本土の資本が入ってくるようになり、観光業や農業の開発が進められたんだが、その利益は島外からやってきた人間が独占。コルシカの人々は貧しいままだった。


 もっとも、18世紀のころのような独立への強い動きってのはなりを潜めてたそうだ。
 これが再燃するのは1960年代が終わろうとしていたころ。
 アルジェリア戦争の話を思い出してもらいたい。植民地時代のアルジェリアには100万人にのぼる白人が支配者層として住んでいて、独立後は逃げ帰った。ピエ・ノワールと呼ばれる人々だ。また、フランス側について戦ったアルジェリア人も本国へと逃れた。アルキと呼ばれる人々だな。
 彼らのうちおよそ2万人は、フランス本土の中でもコルシカへと逃れてきたのよ。その数は当時の島の人口の約9%にも上ったらしい。アルジェリアでしていたのと同じように、コルシカでもブドウのプランテーションを始めた。

 自分たちの土地に突然土足で踏み込んできた連中がどんどん肥え太っていく。自分たちの暮らしは一向に良くならない。こりゃおかしいだろってんで、コルシカの人々は1970年代、再び民族運動の動きを強めていく。1975年にはコルシカの民族組織がピエ・ノワールの農場を占領、治安当局との間での武力衝突に発展し、憲兵2人が死亡する事件が起きた。
 その流れを受けて83年、フランス政府はコルシカの人々の要求に応じる形で、自治を認めたんだな。
 98年には、民族主義者が当時の知事を殺害する事件も起きている。
 近年はそういう極端な動きこそ見られないが、コルシカ独自の文化を大事にしようという動きが強まっているようだ。


 そう、コルシカってのは、いわゆるフランス的価値観に染まらない土地、フランスに反旗を翻した人々なのよ。
 そんなコルシカがどんな状態に置かれているか。
 行ってみればわかるぜ。

 もともと急峻な山岳が大半を占めるという地形なんで、開発しにくいというのはわかる。
 しかし、道路にせよ鉄道にせよ、整備状況の遅れ方ときたらひどいもんよ。
 舗装はガタガタ、車線は狭い。それでも90年代になってから劇的に改善されたらしいがな。島を縦断しようと思ったら1日仕事。アジャクシオなんかの中心街は毎朝夕にひどい渋滞に見舞われる。鉄道やバス、タクシーといった公共交通機関もほとんど発達してねえ。
 目に入る建物もみすぼらしい印象は拭えないぜ。

 コルシカには一つだけ大学がある。
 できたのは1981年のことだ。正確に言うと、大学自体は1765年にできたんだが、1769年に閉鎖され、以後そのままにされていた。
 この大学をつくった人はパスカル・パオリといい、コルシカ独立戦争を率いた民族の英雄なんだが、副官を務めていたナポレオンの父親に裏切られてこの戦いに負け、イギリスへの亡命を余儀なくされた。これが1769年なのよ。
 逆にナポレオンの父親は、当時のフランス国王から貴族として認められたそうだ。そのおかげでナポレオンは9歳で本土へと渡り、軍学校に入学できたわけだ。後の軌跡についてはご存じの通りよ。
 ちなみにナポレオン自身はコルシカ生まれであることに誇りを持ち、パオリを尊敬して父親を嫌ってたっていうんだから皮肉だね。学校で熱心に勉強したのもコルシカを独立させるためだったって話だぜ。

 ともかく、コルシカ大学は2世紀以上に渡って放置されてたわけだ。ずいぶん冷てえじゃねえか、なあ。
 島民はこの間、高校を卒業すると、大学へ行こうと思ったら島の外へ出るしかなかった。
 いったん出たらどうなる? 本土での暮らしに慣れる、戻ったってどうせ仕事はろくにない、じゃあ本土で就職しようか、となるわな。
 コルシカからはどんどん若者がいなくなるってわけだ。
 統治するんだったら、ちゃんと治めろよ。

 それだけじゃあねえぜ。
 1960年、フランス政府はコルシカ島に地下核実験施設をつくると発表した。北部のバラーニュ地方にあるアルジェンテッラ鉱山というところの跡地だ。
 フランスはそれまで、アルジェリアにあるサハラ砂漠で核実験をしていた。ところが、アルジェリアは独立しちまったんで、代わりが必要になったんだな。そこで白羽の矢が立ったのがコルシカだったってわけだ。本土のニースから海を挟んで200キロ、ちょうどいいやってことなんだろう。
 コルシカの人々はこの発表にもちろん怒る。右から左まですべての人が反対してゼネストに突入、政府は結局この計画を撤回せざるを得なかった。
 で、どこに核実験場を持っていったか。ご存じの御仁も多いだろう、南太平洋はタヒチのムルロア環礁よ。つまりコルシカってのは、本土フランスにとってアルジェリアやタヒチと同列だった、ってことだよな。


 コルシカが長らく見捨てられてきたってのは、フランスに従わない者への無惨な仕打ちに見えてならねえぜ。
 番長の目には、コルシカ島と移民のゲットーが、同じような扱いを受けているように映っちまうのよ。
 フランスに従わない厄介者、ってな。


 ところで、これはコルシカの旗だ。



s-tetedemaure.jpg



 この旗、コルシカの至る所で見られる。一方でフランス国旗、赤白青のトリコロールを目にすることはほとんどないぜ。
 こいつをコルシカのシンボルに定めたのは、民族の英雄パスカル・パオリだ。白地に染め抜かれた黒い肌の男は、実はコルシカ人じゃねえ。ムーア人だ。かつてコルシカの人々が、イスラム帝国のムーア人に襲われながら勝利した、そのシンボルなんだそうだ。
 由来については諸説あるが、一つだけはっきりしていることがある。このムーア人ってのは別名があってな。ベルベル人って言うのよ。
 そう、アルジェリアやモロッコ、チュニジアに古くから住む人たちを指す、あのベルベル人だ。


 いや、まいったね。
 偶然の一致なんだが、できすぎた話じゃねえか。
 このベルベル人、白いバンダナを巻いてるだろ? このバンダナ、もともとは目隠しだったんだが、パオリが「俺たちはこれから目を見開いていくんだ」ってんで、おでこの上に外したと言われているぜ。
 フランス人にも、しっかり目隠しを取ってほしいもんだな。




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