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2010.07.30 (Fri)

ア・ビヤントー しばしの別れ! 番長、麻薬犬にひっかかるの巻

 まいったね。
 税関には、まいったね。


 場所は成田空港。番長、初体験をし・ちゃ・っ・た・ぜ。
 11時間あまりのフライト、まあ熟睡など望むべくもねえ。隣には若いカップルが座ってやがったんだが、離陸から着陸まで2回の食事すらほとんど手も付けずにひたすら眠りこくっていて、なるほど睡眠とは若さなんだな、と思ったもんだぜ。おっと、番長もピッチピチのハタチだがな。
 ま、何事もなく成田に着いたってわけだ。

 パリ発ってことで検疫の通過もあっという間。いいのかねえ、アフリカよりもよほど強固なフランス菌がびっちりこびりついてると思うぜ。ま、通してくれるってんなら通るけどよ。入国審査もものの数十秒で終わり、バゲージもロストすることなく出てきたんで、空港を出ようとしたところ。

 税関でストップがかかった。
 最初に対応してくれたのは女性職員だったんだが、後ろからスイッと男性職員が出てくるんだな。で、何やら色々と写真の入ったクリアファイルを繰り返し丁寧に見せられる。
 薬物や銃刀剣類、動物やら植物、ポルノなど持ち込み禁止物が載っているもので、「こういうものは持ち込んでませんかね」と。いや、さっきの姉ちゃんにも言っただろ。持ってねえよ。

 これは後から考えれば時間稼ぎだったんだな。
 気が付いたら、オマエどう見ても柔道5段だろって感じの、税関の制服着てなかったらソウル五輪のころの斉藤仁、的な外見の野郎も番長を取り囲んでてな。
 ん?と思っていると、ファイルを見せていた男性職員が言うんだ。実は私どもの犬がそちらのスーツケースに興味を示しました、と。
 ははあ、さっきからカワイイわんちゃんがいたなあ。ずいぶん番長になついて。
 って、麻薬探査犬だったのかよ。

 案内されるまま奥の事務所へ、ごろごろ荷物を引っ張って行ったぜ。
 小さな部屋には机が一つ。斉藤と私が向かい合い、かたわらにファイルの男。おい、これって警察署の取調室にそっくりじゃねえか。
 番長もたいがい旅行好きで、海外には何度も足を運んでるが、こういうのは初めてだぜ。

 スーツケース、および機内に持ち込んでいたバックパックをひっくり返して、と言ってもここは日本なので丁寧に一つずつ梱包を解いていくんだが、そういう作業がファイル男の手によって始まった。めぼしいものはないかってんでね。

 斉藤が書類に何やら書き込みながら聞く。


 「ええと、連絡先の電話番号、何かありますか」

 いや、帰国したばかりなんでまだ電話はねえよ。

 「ご実家とか勤務先とかで結構ですが」

 ああそうかい。

 「フランスには長く滞在されてたんですか」

 それほどでもねえよ。

 「お仕事ですか」

 よく見ろ、学ラン背負ってんだろ。

 「なるほど。ちなみに留学先は」

 パリキャト大、応援部員だよ。

 「失礼ですが、先ほどご実家の電話番号を確認されている時に、052、と書いてあるように拝見しましたが……」

 ああそうだ、その番号は中京地区だよ。
(斉藤、はしっこいヤツ。マツコ・デラックスみたいなカラダして)

 「私の叔母も多治見に住んでましてね」

 そうかい、そいつは良かったな。日本一暑い町じゃねえか。



 斉藤、ピントずれてるぞと思ったが、今ふり返ってみると、斉藤はこのとき荷物検査をする時間を稼ぐために、のろのろと関係ない話を織り込んでいたのかもしれねえな。
 ま、ないものはないよ。
 以前は、イエメンで刃を落としていない伝統の小刀「ジャンビーア」を、ウズベキスタンでよく切れる伝統のハサミなんかを、それぞれ買ってきたこともあった。ような気がする。ま、こりゃ見つかってたら銃刀法違反だったろうな。
 しかし今回、あらゆる観点で後ろ暗いモノはひとっつも持ってねえ。こっちも堂々としたもんだ。そして実際、なんも出ねえ。
 このちっこい部屋に押し込められてから、ゆうに30分は過ぎただろうか。
 ついにファイル男は、ひととおりスーツケースをチェックし終わっちまった。だんだん向こうの空気が変わってくる。



 「これ、なんですかね?」
 (真っ黒いバッグ、中にはガムテープでくるんだ紙包み)

 ああ、カメラだよ。

 「……」

 ……

 「再度の確認になりますが、(さっきのファイルを見せて)こういうものは所持されてませんか」

 ないってのよ。

 「犬のことですから、必ずというわけではないんです。何か食品類でにおいのあるものとか、心当たりはありませんか」

 ないねえ。(ていうか、犬が反応したからここまで引っ張られてるってことか。)

 「じゃあ心当たりはまったくないと」

 正直、洗濯物くらいだね。ワッハッハ、こいつは3日間分くらいあって、汗を吸ってるからクッセエけどな。

 「パリから帰国されたとのことですが、(パスポートを見ながら)」

 (ちぇ、ノってこねえな)おう。

 「フランス以外の国には行かれてませんか」

 いや、いろいろ行ったよ。

 「どんな国ですか」

 そうねえ、イギリス、スペイン、ベルギー、オランダ、ルクセンブルク、ドイツ、オーストリア等々。

 「誰かに何かを渡された、なんてことはありませんでしたか」

 (なんだよそりゃ、逮捕された容疑者の言い訳かよ)いや、ないねえ。

 「あるいは、そういった国々で、治安のあまり良くないところに行ったとか」

 率直に言って、ヨーロッパでどこからどこまでが治安がいい悪いというのを明確にすることは難しいし、そりゃ行ったことがないとは言えねえと思うぜ。

 「そういったところで、ご自身は何もされていなくても、近づいたりとかね」

 ああ、そういうことか。オランダのことね。ハッキリそう言ってくれよ。

 「アムステルダムなんて有名ですからね」

 なるほど。でも本当に行ってねえよ。番長、コカインよりもコカコーラ・ゼロの方が好きなんでな。

 「はっは、そうですかそうですか。なるほど。わかりました、もう結構です」




 そんなわけで、荷物をしまって東京へ出た。
 あー、無修正のエロ本とか入れてなくて良かったぜ。


 というわけで、いま番長は日本にいる。帰ってきちまった。
 久しぶりに吸うシャバの空気は、なんだかジメってやがるな。これが日本の湿気ってヤツか。それも今は心地良いぜ。

 言いたい放題いろいろ書いてきた番長だが、どうやらネタも尽きてきた。ここらが頃合いってことかもしれねえな。しばしの間、筆を置かせてもらうとするかい。

 読んでくれたアンタ、コメントをくれたアンタ、拍手してくれたアンタ、人気ランキングに投票してくれたアンタ、クチコミで広めてくれたアンタ、マイミクになってくれたアンタ、ツイッターでつぶやいてくれたアンタ、自分のサイトで取り上げてくれたアンタ。みんな、どうもありがとうよ。

 おっと、これでオシマイってわけじゃねえぜ。番長は不滅だ。気が向いたときに、またフラリとここへ戻ってくることもあらあな。そんときゃ一つ、キャトル・シス・キャトル・ヌフで頼むぜ。

 フランス人は別れるときに、「ア・ビヤントー」と言う。ビヤントーってのは、間もなく、すぐに、って意味だ。次にいつ会えるかわからない、ひょっとしたら一生会えるかわからないときも、この言葉を使う。どうせ誰にもわからないんなら、すぐ後で会える確率も、それが10年後になる確率も、一緒だからな。

 だから言おう、ア・ビヤントー。達者でな!




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2010.07.28 (Wed)

消えない国境 アウシュヴィッツにて

 まいったね。
 枢軸国には、まいったね。


 フランスでは5月、1ヵ月の間に祝日が4日ある。いわばプチ・バカンスだ。
 うち2日はキリスト教関係の祝日で、もう一つが5月1日。メーデーで、これはヨーロッパだとたいていどの国でも祝日だな。労働者がみな休むので、この日ばかりはバスなど公共交通機関も全面運休になる、こともある。街の規模によるけどな。
 で、最後の一つが5月8日。これ、なんだか知ってるかい?

 第2次世界大戦の終戦記念日なのよ。
 それぞれの町で式典が開かれる。終戦を祝い、戦没者を偲ぶわけだ。
 フランス人と一緒に見に行った番長、お前の母国に同じような式はあるか、と尋ねられた。あるけど、軍隊が行進することは絶対にねえ。死者を弔うという意味の方が強い。日本は戦敗国だからなと、答えたわけだ。

 そしたらだな、ツレが聞き返すのよ。「それ、どういう意味?」と。
 耳を疑ったが、「第二次世界大戦で日本が負けた」ということがピンと来てない様子なんだな。ツレってのは数人いたんだが、どいつもこいつもがだ。
 いやいや、日本はドイツ、イタリアと同盟を結んでいて、日独伊三国同盟締結は1940年、これテストに出るぞ。で、連合国と戦って。

 そういやあ、フランスやイギリス、アメリカは連合国で、レザリエとフランス語では言うが、日本とドイツの方の連合は何て言うんだ? と尋ねたのよ。

 知らない、と。
 いや、このとき番長と一緒にいたフランス人たちがとりわけボンクラってわけじゃねえんだぜ。
 これはちょっとした衝撃だったな。
 ヨーロッパにおいて第二次大戦とはすなわちナチス・ドイツと周辺諸国との戦争で、日本がどうなったかなんて知ったことじゃねえんだ。
 (ついでに言うと、イタリアは途中で枢軸国から抜けている)
 連中にとって、終戦記念日は8月15日じゃねえのよ。5月にはもう、戦争は終わってるんだな。

 こと第二次大戦とその直前の時期において、日本が世界史上で演じた役回りというのは結構なものだと思っていたんだが。
 その場では聞けなかったが、日本が唯一の被爆国であること、まして憲法9条なんてものが存在していることなんて、知られてねえんだろうなあ。
 ヨーロッパと日本の距離を、改めて感じた出来事だったぜ。

(後で調べたところ、ウィキペディアのフランス語版では、枢軸国は「アクス・ローマ・ベルリン・トーキョー」とされていた)



 さて、そんなことがあってからしばらく後のこと。
 ポーランドへ、アウシュヴィッツ強制収容所を見に行ってきた。
 ヨーロッパにいる間にぜひ見ておかなきゃなあと前から考えてたのよ。



s-au1.jpg
(ガス室で「大量生産」された遺体は、隣接する焼却炉で燃やされた)



 大量殺人が行われたガス室、マットの原料とするために収容者から刈り取った髪の毛、人体実験がされていたことを示す資料など、生々しく見応えのある展示物が多数あったぜ。
 番長は既に、だいぶ前のことではあるが他の収容所を見たことがあるし、「シンドラーのリスト」も見たし、あまり驚きはないかなと思っていたんだが、どうしてなかなか。
 少しでも興味があるならぜひ訪ねてみるといいよ。見るのにたっぷり1日かかる、というのはガイドブックの常套句だが、誇張抜きでかかるぜ。

 アウシュヴィッツは、広々としていてねえ。
 どこか明るい雰囲気すら感じられたぜ。



s-au2.jpg
(司令官室から見下ろした収容所群)



 一つには、施設が巨大だからだろう。面積およそ200万平方メートル、200ヘクタール。東京ドーム42~43個分。
 敷地の広大さに比べて、住居は極めて狭隘だった。狭い棚にわらを敷いただけの家畜小屋のようなところに、ピーク時には約14万人がすし詰めにされていたそうだ。
 しかし、太陽がさんさんと降り注ぐ収容所跡は、鳥がさえずり、のどかそのもの。一面の芝生で、ピクニックに最適といった趣すらあった。



s-au3.jpg
(第二アウシュヴィッツ、ビルケナウの一角。池の下には遺体を焼却した灰が埋められている)



 もう一つには、見学者の数が多いということがある。特にグループ・ツアーが多い。
 番長のような観光客もいたが、目に付いたのがポーランドの学生らしき一団。
 ポーランド人は学生時代に、必ず一度はこの地を訪れるんだそうだ。大部分は真剣なまなざしで回っていたが、人数が多くなると、そりゃ緊張感のないヤツも出てくるよな。
 一方では、ユダヤ人たちが涙を流しながら献花をしていて、当時と同じ時間が今も流れていることを感じさせられもしたぜ。


 そんなアウシュヴィッツの展示物の中に、この施設での犠牲者数を示したパネルがあった。
 ドイツ軍が資料を残さなかったため、正確な数はわかっていないらしいんだが、様々な研究がされ、犠牲者数を推定しているんだそうだ。
 そこにあった数は、全体で130万人が殺害された、というものだった。
 内訳が書いてあったぜ。国籍は様々ながら、ユダヤ人が110万人。

 ということは、残りの20万人は別の人々ということになる。
 ポーランド人が15万人。ロマ(ジプシー)が2万3000人。旧ソ連人が1万5000人。
 ロマは当時、ユダヤ人同様に殲滅すべき人種とされていた人たちだ。旧ソ連人というのは、ほとんどがソ連軍の捕虜。

 驚きだったのが、殺害されたポーランド人の多さだった。
 大半は政治犯だが、第二次大戦におけるポーランド政治犯というのは、つまりナチス・ドイツの占領に反対したすべての人のことだ。
 ポーランド人学生がアウシュヴィッツを訪れるのは、何も平和教育というお題目からではなく、この収容所こそが独立ポーランドの原点であり、ナチスに屈しなかったポーランド人の魂が眠る場所だから、というわけだな。
 恥ずかしながら番長、はじめて知ったぜ。

 ポーランド人は、こんなことを書いていることを知ったら、驚き、あきれるだろうな。そんなことも知らなかったのかと。アウシュヴィッツと言えばユダヤ人だけが犠牲になったように思い込んでいたのかと。
 日本が第二次大戦で負けたことも知らない、なんて訳知り顔に憤慨していた番長も、結局は同じ穴のムジナだったというわけだ。

 国際社会、と簡単に言うが。
 確かに移動や通信手段の発達で、飛行機やインターネットのおかげで、世界の距離は縮まったと思うぜ。
 EU域内にいると、パスポートチェックもなければ両替の手間もない。国境を越えたと意識することが、むしろ難しいほどだ。

 しかし、消えない国境というのもまた、あり続ける。



s-au4.jpg
(アウシュヴィッツへと収容者を運んだ列車の終着駅)




 いや、まいったね。
 その国境を克服しようとする努力と、妥協する寛容さが、共に必要なんだろうな。




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2010.07.27 (Tue)

モロッコのフランス語、日本の英語

 まいったね。
 公用語?には、まいったね。


 番長先日、モロッコへと旅行に行ってきた。
 アンタ、知ってるかい、モロッコって国のことを。そうよ、カルーセル麻紀が性転換手術を受けたあの国よ。あとはあれだな、聖子ちゃんが歌ってたろ、「マラケッシュ~迷路のま~ち つかまえたらい~なり~よ~」なんてな。稲荷じゃねえぜ、言いなりだ。あのマラケッシュてのはモロッコにある町の名前だ。
 そんなこともあって番長の中では、神秘の国という印象だったんだが。実は地中海を挟んでフランスやスペインに面する、ヨーロッパからごく近い国だった。
 アフリカ大陸にあるんだが、交通網やホテルなんかはちゃんと発達していて、旅行しやすい。それでいて物価はヨーロッパに比べれば安い。しかも、迷路のように入り組んだ旧市街や砂漠に代表される自然景観など、見どころが多いときて、ヨーロッパ人にはとても人気のある観光地だ。日本から見たときのタイみたいな位置だな。


 そんなモロッコの公用語は、アラビア語だ。アラビア語しかないことになっている。
 ところが、フランス語がおっそろしく通じる。まったくわからないって人は珍しいくらいだ。バイクタクシーの運転手のじいさんやスーパーのレジうちのねえちゃんでもちゃんと通じる。
 これは、かつてのフランスの植民地だった影響だろう。正確には保護領だったそうだが。
 モロッコは「国際フランス語圏協会」に正式加盟している。同じく植民地だった隣国のアルジェリアは入ってねえのにな。

 モロッコのテレビには国営放送が2チャンネルあるんだが、うち1局は通常、フランス語で放送されている。アラビア語の字幕はなし。ニュースもバラエティもフランス語。映画はごていねいにフランス語の吹き替え版。
 現地に住んでいる方のブログによれば、放送時間の半分以上がフランス語のみで放送されているんだそうだぜ。

 もちろん、新聞や雑誌もフランス語のものがたくさん売られていた。
 看板や標識、駅のアナウンスからスーパーの商品表示にいたるまで、すべてアラビア語に加えてフランス語が併記されている。英語はない。
 それほどフランス語が身近な国だった。


 さて、メクネスという中規模都市から列車に乗ったときのこと。
 1等車だった。物価が安かったんで、ここは一つ張り込んでおくかと思ったのよ。2等車より倍くらい値は張ったぜ。そりゃ、客もそれなりの地位にいる人なんだろうよ。
 番長は3人のモロッコ人と同じコンパートメントに乗り合わせたぜ。両端に年かさの男性が2人、おそらく50代から60代初頭くらいだ。で、2人の真ん中に女性が1人。アラフォーってとこだろうか、見るからに気ぐらいの高そうなオバハンだ。
 この3人は連れってわけじゃない。いずれもたまたま乗り合わせた、見ず知らずの他人だった。

 なんとも驚いたことに、この女性が他のモロッコ人乗客と話すとき、フランス語を使うんだな。必ず。
 モロッコ人ではないのかと思って、気付かれないように観察してみたんだが。
 どうもそうとは思えないのよ。

 3人とも荷物が非常に少ない。女性はハンドバッグひとつ、男性はビニール袋を提げているだけ。旅行者には見えねえ。
 少なくとも男性2人は地元の人だった。この2人だけで話すときは、アラビア語と思しき言葉で会話を交わしていたからな。1人は軍人のようで、帽子をかぶってるんだが、これにモロッコ国旗にもある星印が付いていた。もう1人は、これはもうモスクの前でしゃがんでるのをよく見るような、そういう格好をしてたな。
 女性も、これはあてにはならねえが、顔は見るからにモロッコ人。いわゆるエキゾチックな顔立ちをしていた。目といい鼻といい、太った体つきといい、典型的なアラブ・スタイル。服は黒っぽいのを着てたが。何と言うのかねえ、中国は大変な経済成長を遂げたが、しかし、未だに日本人と比べると服装に抜きがたい違いが感じられることがあるよな。あの感じが漂っていたぜ。ま、これは極めて主観的な話だが。実際、ヨーロッパで見る中国人と日本人の服装の差ってのはどんどんなくなってきたように思うからな。


 それよりも、気になったのは彼女の使うフランス語よ。独特のイントネーションもあったんだが、それよりも。
 あいづちをうつときに必ず「ウィ、ビヤンシュー」って言うのよ。これは「もちろん」という意味なんだが、何度も何度も、数十回は繰り返してたな。
 これは英語で例えれば、ずっと「イエス、シュアー」と言い続けているようなもんだ。ネイティブだったら「アブソリュートリー」とか「イグザクトリー」とかなんとか言い換えるよな。
 フランス語でも同じことで、エヴィダモンとかアブソリュモンとかトゥータフェとかヴザヴェレゾンとか、なんなりと言い方はある。

 総合的に言って、3人ともモロッコ人だったと思うぜ。
 なぜアラビア語を話さないのか。いくらフランス語が身近だからって、これはたとえば、日本人同士が英語で会話するようなもんだぜ。


 ところが、こういう「モロッコ人がモロッコ人に対してフランス語で話す」って場面に、このほかでも何回も出くわしたのよ。
 スーパーで子どもにフランス語で説教をしていた父親。
 空港で職員にクレームをつけていた女性。
 うーん。

 似た現象が起きている国に、インドがあるよな。知識階級は英語を話す。独特の、かなり強いイントネーションがあるが。
 でも、インドは国内に100以上の言語を持つと言われている多言語国家だ。公用語のヒンディー語ですら、人口11億人のうち4割くらいしか使えないらしい。だから、英語の出番が増えるのもまあわかるよ。

 しかしモロッコに存在するのは、アラビア語のほかにはベルベル語だけ。山岳地帯の言語だが、これをさらに細かく分類しても3言語にしかならない。
 ちなみにモロッコの全人口は3200万人で、ほとんどがアラビア語を理解する。インドとは事情が違うわけよ。

 例のアラフォー女性の姿は、自らの知的レベル、およびそういう教育を受けられた背景としての富、洗練されたわたし、を示すためにフランス語をしゃべってるように感じられたぜ。つまりはステイタス。ヴィトンのバッグと変わらねえ。
 もっとも番長には、モロッコ人との会話にフランス語を使うってこと自体が、すこぶる知的レベルの低い話に思えてならねえけどな。日本でヴィトンのバッグを持ってる人を見ても、センスがいいとは思わないのと同じようにな。


 モロッコは1912年にフランス統治下に入り、第二次世界大戦後の56年、独立した。その間わずかに50年。
 なあ、たとえば韓国人が日本からの独立後、日本語を進んで話すことがあっただろうか。ないよな。金輪際ないよな。
 なんなんだろうこの違いは。
 なんてことを考えているうちに、メクネスを出た列車はモロッコ最大の都市、カサブランカに着いた。ハンフリー・ボガードが主演した同名の映画でも有名だよな。アンタも名前くらいは聞いたことあんだろ。

 この町はビジネス都市で、観光客にとっての見所はあんまりねえ。そんな中、ほぼ唯一の呼び物となっているのが、ハッサン2世モスクってヤツだ。
 とにかく巨大で、ミナレット(尖塔)の高さ200メートルは文句なく世界一、全体の大きさも世界で3番目だとか(1番はメッカ)。のべ1万人にのぼるモロッコ人職人が7年の歳月をかけて完成させたというモスクは、確かに壮麗だった。モロッコじゅうから寄付やら税金やらを集め、かかった予算は5億ドル(だいたい500億円)を下らねえという説明だった。社会保障とかインフラ整備とかに使えよ、と思ったがな。
 このモロッコの誇り、前国王の名を冠した巨大モスク、なんと設計したのはフランス人。ミシェル・パンソーという人だそうだ。
 こりゃ明治神宮をアメリカ人に設計させるような話じゃねえかよ、なあ。


 番長があえて言う話じゃねえが、外国語を学ぶというのはとても重要なことだ。言葉を学ぶというのは、言語体系を通じてその価値観を学ぶということでもある。フランス語を勉強すれば、フランス的な発想ってもんが身についてくる。視野が広がるぜ。
 他方、言語を学ぶというのは、その言語に対して屈服することだ。無条件降伏をすることに他ならねえ。

 以下、話をわかりやすくするために、フランス語を例に取るが、どの言語でも同じことだぜ。
 フランス語に関して、フランス人は絶対的な存在だ。
 こっちの喋ったことを聞いたフランス人が、わからない、違うと言えばそれまで。なぜと疑問をぶつけたところで「フランス語ではそうなってるから」と言われればそれまで。
 言語というのは、どれだけ体系的に学問化されていたところで、そういう性格のものだ。山のことはなんでモンターニュって言うんですか、なんて聞いても詮無いことだろ。

 じゃ、言語を習得して楽しいのはどういうときか。
 フランス人の話していることが聞き取れるようになったとき。こちらの言ったことがフランス人にちゃんと通じたとき。
 言ってみれば、フランス人に近づいたとき、フランス人に認められたとき、なのよ。

 すなわち、フランス語という枠内においては、フランス語ネイティブとフランス語学習者の間では、常に上下関係がはっきりしているわけだ。

 それぞれの植民地では、もともとフランス語を使っていたわけじゃねえ。支配されて宗主国の言語を使うようになった。
 モロッコでは公用語でこそないが、上記の通りの有様。西アフリカでは多くの国でいまだに公用語だ。現地の人々はこの言葉を習得しようとし、その度ごとに無条件降伏を強いられる。フランス人が先生に、師匠になる。そういうことを繰り返しているわけだ。


 番長が思うに。
 語学や学問に限らずあらゆることについて言えるが、人に屈服できないヤツってのはダメだ。ひざまづいて教えを請う謙虚さがないヤツってのはさ。
 だが、言語を学ぶというのは、人のランク付けに直結するって一面もある。
 モロッコで目にしたいびつな情景は、まさにそういうことの一端だったんじゃねえかなと、思ったわけだな。

 日本だって例外じゃねえ。
 楽天だユニクロだって会社では、英語を社内公用語にするらしい。そこまでいかなくても、出世するにはTOEICで何点が必要、なんて会社は枚挙にいとまがねえよな。
 そういえば英語を日本の第二公用語にしようなんて議論が、大まじめにされたこともあった。モロッコで見たフランス語オバチャンは、日本にもたくさんいるようだな。


 いや、まいったね。
 残念だったねえ、第二次大戦後にアメリカの日本支配がごく短期間で終わっちまったのは。おかげさんで、今でも日本はTOEIC世界ランクで最下位を競おうかって有様だぜ。




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