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2010.07.02 (Fri)

番長に聞け! フランス留学ってどんなもの?

 まいったね。
 留学生の悩みには、まいったね。


 またまた登場、「番長に聞け!」のコーナー。
 悩める子猫ちゃんたちのお悩みを、番長が快刀乱麻、ズバッと解決しちまうぜ。
 今回はこんなご相談。



 仏文科に通う大学生です。フランスに留学しようと思っています。
 外国で暮らすのはもちろん、親元を離れるのも初めてです。留学生活とはいったいどんなものなのか、いまひとつ想像できません。何か参考になる本などはないでしょうか。




 なるほど、なるほど。あんたエライじゃねえか。
 聞いたところじゃ最近、留学しようという若者の数が日本では減ってるんだろ。なんとも嘆かわしい話だと番長、思ってたのよ。やっぱ武者修行ってヤツが必要だよな、うんうん。

 で、留学生活とはどんなものなのかというお尋ねだが。実際にフランスで留学している人や、かつてしていた人のブログってのはネット上にごろっごろ転がってるから、読んでみるといいぜ。
 あとはなんだ、「成功する留学」だとか何だとか、そういう本も売ってんだろ。立ち読みでもしたらどうだい。
 番長から一つ言えるのは、来てさえしまえば何とかなるってこった。実は番長、実際にフランスの地を踏むまで、フランスとは縁もゆかりもない生活をしていてね。当然ながらフランス語もまったくできなかった。
 行くことが決まってから付け焼き刃的に会話教室に通ったりしたんだが、それでどうにもなるもんじゃねえよ。実際に生活を始めてみたら、あまりに何も聞き取れないんで泣きそうになったもんだぜ。ところが、習うより慣れろとはよく言ったもんだねえ。暮らしてるうちにある程度のレベルまでは何とかなっちまうんだな。
 ってなことなんで、ズバンと飛び込んで来てみな。なんとでもなっちまうから。


 と、こういうポジティブな情報ってのは、日本にもあふれてる。
 なぜって、フランス大使館をはじめとする公的機関や、留学業者あたりは、留学について悪く言うはずがないもんな。一人でも多くフランスに行ってほしいわけだから。
 それから、留学の経験者。よほど勇気のある人を除けば、留学が失敗だったとは言わねえよ。それは自分を否定することに他ならねえし、高いカネと貴重な時間とをかけたわけだしさ。
 しかし、物事にはなんでも裏表があるように、留学にももちろんネガティブな面はあるさ。留学生も日々苦悩してんのよ。

 そのことを既に1964年、今から50年近く前に書ききってる人がいる。遠藤周作って名前の作家だ。名前くらいは聞いたことあんだろ? その本のタイトル、ズバリ「留学」という。



留学 (新潮文庫)留学 (新潮文庫)
(1968/09)
遠藤 周作

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 全3章からなる物語なんだが、留学というテーマが同じなだけで、それぞれ主人公や登場人物には何の関係もない。このうち1章と2章はいずれも短編だ。

 まずは第1章「ルーアンの夏」の中から、一場面を見てもらおうか。主人公の工藤はカトリック教会の手招きでフランス西部のルーアンに留学する。周囲のフランス人たちの優しい態度に、まるで無知な子どものような扱いだと工藤は感じるが、善意から出ているとわかっているだけに煩悶する。
 以下、日本でのキリスト教の状況を聞かれた工藤と、フランスの司祭や信者の夫人とのやりとり。



「しかし、日本じゃ、知識階級の信者は少ないんです」
「それは教育の結果によるんじゃないかね。日本人がカトリックを理解できる知的水準になればその心配はなくなるだろう」
「我々の大学は、この国にくらべて劣っているとは思いませんが……」
 司祭の顔に薄笑いが浮んで、
「そう言う意味で言ったのではないのだ。しかし、君たちの国には大学の数は幾つあるかね」
「どんな小さな都市にも一つはあります。幾つか数えたことはありませんが、五、六十は大学をもっていますけど」
「それは君、大学とよぶもんじゃないだろう。仏蘭西ではそんなに軽々しく沢山の大学を作らないよ」

(中略)

「前から聞きたいと思っていたんですよ。日本の家は紙と木でできていると聞きましたけど」
「紙は窓硝子のかわりに使うんです」
「窓硝子のかわり」夫人は驚いた眼をして答えた。「考えられませんよ。風が吹いたらどうなるのです」
(中略)説明すればするほど、夫人たちは奇妙なイメージを頭につくりあげていく。工藤はくたびれ果てて、しきりにハンカチで額をふいた。自分のもどかしい仏蘭西語に次第に腹がたってくる。仏蘭西語だけではなく、こうした無理解な質問に答えねばならぬ自分に腹がたってきた。(中略)こんな町になぜ何時までも住まねばならぬのだ。畳を干した藁と混同し、障子をただの紙だと想像する連中になぜ、この夏のあいだ、つきあわねばならぬのだ。




 うーむ、「フランスあるある」だな。
 いや、さすがに現在では、ここまであからさまな日本に対する無知ってのはねえよ。だが、フランスにとって、極東に位置する日本ってのは本当に遠いとおーい国なんだ。香港や台湾と区別が付いてない程度なら笑って済む話だが、ここでの工藤のような違和感やもどかしさってのは常につきまとう。
 多くのフランス人にとって、フランスにいる日本人の知り合いってのは、身近にいるただ一人の日本人。つまりフランスの日本人ってのは、一人一人が日本代表なんだよな。当然のごとく日本のあれこれを尋ねられる。それがフランス人のイメージする日本と違っていると、ひどい居心地の悪さを感じさせられることがあるんだな。
 番長、日本では生活保護費が月13万円だって言ったら、そんなわけないとキレられたことがあったぜ。高すぎると。いやいや、事実だからしょうがねえだろ。おそらく、フランスは税金こそ高いが福祉の充実した国だってのが、自慢だったんだろうな。


 さて、遠藤周作の「留学」に戻ろうか。
 メインは第3章の長編「爾も、また」ということになる。
 あらすじを説明しよう。主人公の田中は仏文学科の助手でマルキ・ド・サドが専門。希望と野心を胸にフランスに留学するが、研究で壁にぶつかり、日本では学内の地位を追い落とされ、密かに眼をかけていた女学生は結婚。さらには病に体をむしばまれて喀血、失意のうちに帰国する。そんな物語だ。

 田中以外の主な登場人物はこんな感じよ。



向坂……田中と同宿の日本人建築家。歴史あるヨーロッパ文化に真正面から取り組もうとしてほかの日本人留学生たちから孤立。肺病にかかり、田中に見送られながら帰国の途につく。

真鍋……作家。パリで一流の芸術品と直接向き合ううち、自らの才能の限界を知って帰国する。

小原……日本銀行の駐在員として30年前にフランスへ赴任、フランス人女性と結婚してそのまま居着くが、家庭で妻と子どもから馬鹿にされている。日本への望郷の念を募らせる。

菅沼……田中の後輩で売り出し中の仏文学者。大学内で実権を握った助教授のとりなしで田中から間を置かずに渡仏。社交的なタイプで、悪気はないが田中を苛立たせる。

ルビイ……フランスでのサド研究の第一人者だが、己の功績が認められずひがんでいる。訪ねてきた田中を冷たくあしらう。

藤堂……在仏12年の自称天才画家。芽が出ず、渡仏した日本人の小間使いのような仕事で生計を立てているが、プライドだけは人一倍。




 どうだい、こんなワクワクするような面々が織りなす物語。田中とあわせて7人だが、「男女7人夏物語」も裸足で逃げ出す人模様だろ。
 長旅を終えて空港に降り立った田中は、パリ市内へと向かうバスのアナウンスが聞き取れなかったり、自分に対する扱いが日本と違ってひどく惨めなことに当惑し、落胆する。やっとのことでパリ滞在中の宿となるホテルにたどり着いた田中は、たまたま以前から同宿に逗留していた日本人の向坂と出会い、こんな会話を交わす。



「なんだか、想像していた巴里とちがうみたいで……とても冷酷な街ですねえ」
「そりゃあ」向坂は建築家らしいものの言い方をした。「この巴里の家も路も教会も石の集積だし、その石に一つ一つの歴史の重みがある。巴里にいることは、その重みをどう処理するかという生活の連続です。ぼくみたいに二年組になってくると、この重みと圧力が肉体にも心にも苦痛になってくることがあるんです」




 そんな向坂は肺病にかかり、帰国を余儀なくされる。そのときの台詞。



 「何時(いつ)か、言ったでしょう。この国に来る日本人には3種類あるって。この石畳の重さを無視する奴とその重みを小器用に猿真似する者と、それから、そんな器用さがないために、ぼくみたいに轟沈してしまう人間と……」




 暗い、暗いねえ。
 人によっては、しょってんじゃねえよ、くらいに思うのかもしれねえ。確かにそういう面もある。この小説が書かれたのは敗戦直後、日本人が西欧に対する圧倒的なコンプレックスに苛まれていた時代だ。そこは差し引かなきゃならねえ。
 だがこの台詞、フランスに暮らすということの本質を突いているような気がするぜ。
 フランス生活、異国での生活ってのは、チャラチャラしたもんじゃねえのよ。


 そんな「留学」の中で番長がいちばん好きなのは、終盤、田中がリヨンの街を訪れる場面。ノートルダム聖堂やローマ劇場のあるフルヴィエールの丘で、彼はこんなことを考えるんだな。



 ここで彼が感動したものはそんな名所旧跡ではなかった。奇妙なことだが、彼は丘の上からリヨンの街を見おろした時、なぜかわからぬが、急に涙が出そうなほどの感動に捉えられた。

 街はまるで灰色の大きな染みのようにみえた。工場から煙がながれ赤っぽい屋根をもった家々がソーヌ河とローヌ河とを間にはさんで拡がっている。路には小さな人が歩き、電車が走っている。点々と沢山の教会の塔がそうした家々や路や、くりひろげられている様々な生活の上に土台をおろして灰色の空にむかって、鋭く細いその先端をさしのべていた。耳をすますと街のざわめきにまじって鐘の音までかすかにきこえた。街の尽きたところからは、哀しそうに褐色の平野がひろがり、紫色の靄の中に消えていった。

 (これがヨーロッパだ)

 ふいに田中はそう思った。これがヨーロッパなのか、自分でもはっきりわからなかったし、日本にいた時のほうが、同じ質問を誰かに受けたなら、もっと明快に答えられたかもしれぬ。しかし、今、考えてみるとあんなものは書物の上での知識だった。僅かだが、この国に来て生活しているうちに自分が以前、考えていたのとは別のヨーロッパを感じはじめたのだ。その感じが今、リヨンという街を通して眼の前にある。この灰色の哀しそうな生活の拡がり。車の音、人々のざわめき。そしてそのみすぼらしい人生の中に尖塔へ曇った空の割れ目から数条の光線が落ちている。田中にはヨーロッパというものが、長い間、本質的にはこのような姿でうずくまってきたような気がしてならなかった。




 うーん、沁みるねえ。灰色の空と灰色の町、これぞフランスだぜ。

 なにも番長、若いアンタのやる気を挫こうってんじゃねえ。むしろその逆だ。フランスじゃなくてもいいが、ぜひ若いうちに海外に打って出てもらいたい。だが、マカロンとエッフェル塔がフランスだと思ってんなら、悪いことは言わねえから観光旅行にとどめておきな。こういう暗さも受け止められる人にこそ、渡仏してもらいたいぜ。

 勘違いしてもらいたくねえんだが。日本人には海外で学ぶ人間が少ない、英語もろくにできない、だから日本は国際社会で取り残される。そんな議論があるよな。番長、こういった意見には与しねえ。お国がどうなるこうなるなんてのは知ったこっちゃねえよ。
 ただ、人間の深みってのは踏んだ場数で決まってくると思うんだよな。海外に行けばそれでいいってわけじゃねえが、行かないよりはいいだろうさ。

 このサイトは、日本人が勝手に抱いているフランスへの幻想を、それは誤解だよと言うためにつくったものだ。だから番長は、アンチ・フランスの日本大好きっ子と思われることが少なくない。
 だが、そうじゃあねえんだ。フランスの都合のいい面だけを見る、正露丸に砂糖をまぶして飲み込むようなマネはやめてくれ、ってことなんだな。


 いや、まいったね。
 もうすぐ夏休みだ。9月にはフランスでは新学期が始まる。今年もたくさんの工藤や田中が、日本から来るんだろう。幸運を祈ってるぜ。




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