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2010.07.28 (Wed)

消えない国境 アウシュヴィッツにて

 まいったね。
 枢軸国には、まいったね。


 フランスでは5月、1ヵ月の間に祝日が4日ある。いわばプチ・バカンスだ。
 うち2日はキリスト教関係の祝日で、もう一つが5月1日。メーデーで、これはヨーロッパだとたいていどの国でも祝日だな。労働者がみな休むので、この日ばかりはバスなど公共交通機関も全面運休になる、こともある。街の規模によるけどな。
 で、最後の一つが5月8日。これ、なんだか知ってるかい?

 第2次世界大戦の終戦記念日なのよ。
 それぞれの町で式典が開かれる。終戦を祝い、戦没者を偲ぶわけだ。
 フランス人と一緒に見に行った番長、お前の母国に同じような式はあるか、と尋ねられた。あるけど、軍隊が行進することは絶対にねえ。死者を弔うという意味の方が強い。日本は戦敗国だからなと、答えたわけだ。

 そしたらだな、ツレが聞き返すのよ。「それ、どういう意味?」と。
 耳を疑ったが、「第二次世界大戦で日本が負けた」ということがピンと来てない様子なんだな。ツレってのは数人いたんだが、どいつもこいつもがだ。
 いやいや、日本はドイツ、イタリアと同盟を結んでいて、日独伊三国同盟締結は1940年、これテストに出るぞ。で、連合国と戦って。

 そういやあ、フランスやイギリス、アメリカは連合国で、レザリエとフランス語では言うが、日本とドイツの方の連合は何て言うんだ? と尋ねたのよ。

 知らない、と。
 いや、このとき番長と一緒にいたフランス人たちがとりわけボンクラってわけじゃねえんだぜ。
 これはちょっとした衝撃だったな。
 ヨーロッパにおいて第二次大戦とはすなわちナチス・ドイツと周辺諸国との戦争で、日本がどうなったかなんて知ったことじゃねえんだ。
 (ついでに言うと、イタリアは途中で枢軸国から抜けている)
 連中にとって、終戦記念日は8月15日じゃねえのよ。5月にはもう、戦争は終わってるんだな。

 こと第二次大戦とその直前の時期において、日本が世界史上で演じた役回りというのは結構なものだと思っていたんだが。
 その場では聞けなかったが、日本が唯一の被爆国であること、まして憲法9条なんてものが存在していることなんて、知られてねえんだろうなあ。
 ヨーロッパと日本の距離を、改めて感じた出来事だったぜ。

(後で調べたところ、ウィキペディアのフランス語版では、枢軸国は「アクス・ローマ・ベルリン・トーキョー」とされていた)



 さて、そんなことがあってからしばらく後のこと。
 ポーランドへ、アウシュヴィッツ強制収容所を見に行ってきた。
 ヨーロッパにいる間にぜひ見ておかなきゃなあと前から考えてたのよ。



s-au1.jpg
(ガス室で「大量生産」された遺体は、隣接する焼却炉で燃やされた)



 大量殺人が行われたガス室、マットの原料とするために収容者から刈り取った髪の毛、人体実験がされていたことを示す資料など、生々しく見応えのある展示物が多数あったぜ。
 番長は既に、だいぶ前のことではあるが他の収容所を見たことがあるし、「シンドラーのリスト」も見たし、あまり驚きはないかなと思っていたんだが、どうしてなかなか。
 少しでも興味があるならぜひ訪ねてみるといいよ。見るのにたっぷり1日かかる、というのはガイドブックの常套句だが、誇張抜きでかかるぜ。

 アウシュヴィッツは、広々としていてねえ。
 どこか明るい雰囲気すら感じられたぜ。



s-au2.jpg
(司令官室から見下ろした収容所群)



 一つには、施設が巨大だからだろう。面積およそ200万平方メートル、200ヘクタール。東京ドーム42~43個分。
 敷地の広大さに比べて、住居は極めて狭隘だった。狭い棚にわらを敷いただけの家畜小屋のようなところに、ピーク時には約14万人がすし詰めにされていたそうだ。
 しかし、太陽がさんさんと降り注ぐ収容所跡は、鳥がさえずり、のどかそのもの。一面の芝生で、ピクニックに最適といった趣すらあった。



s-au3.jpg
(第二アウシュヴィッツ、ビルケナウの一角。池の下には遺体を焼却した灰が埋められている)



 もう一つには、見学者の数が多いということがある。特にグループ・ツアーが多い。
 番長のような観光客もいたが、目に付いたのがポーランドの学生らしき一団。
 ポーランド人は学生時代に、必ず一度はこの地を訪れるんだそうだ。大部分は真剣なまなざしで回っていたが、人数が多くなると、そりゃ緊張感のないヤツも出てくるよな。
 一方では、ユダヤ人たちが涙を流しながら献花をしていて、当時と同じ時間が今も流れていることを感じさせられもしたぜ。


 そんなアウシュヴィッツの展示物の中に、この施設での犠牲者数を示したパネルがあった。
 ドイツ軍が資料を残さなかったため、正確な数はわかっていないらしいんだが、様々な研究がされ、犠牲者数を推定しているんだそうだ。
 そこにあった数は、全体で130万人が殺害された、というものだった。
 内訳が書いてあったぜ。国籍は様々ながら、ユダヤ人が110万人。

 ということは、残りの20万人は別の人々ということになる。
 ポーランド人が15万人。ロマ(ジプシー)が2万3000人。旧ソ連人が1万5000人。
 ロマは当時、ユダヤ人同様に殲滅すべき人種とされていた人たちだ。旧ソ連人というのは、ほとんどがソ連軍の捕虜。

 驚きだったのが、殺害されたポーランド人の多さだった。
 大半は政治犯だが、第二次大戦におけるポーランド政治犯というのは、つまりナチス・ドイツの占領に反対したすべての人のことだ。
 ポーランド人学生がアウシュヴィッツを訪れるのは、何も平和教育というお題目からではなく、この収容所こそが独立ポーランドの原点であり、ナチスに屈しなかったポーランド人の魂が眠る場所だから、というわけだな。
 恥ずかしながら番長、はじめて知ったぜ。

 ポーランド人は、こんなことを書いていることを知ったら、驚き、あきれるだろうな。そんなことも知らなかったのかと。アウシュヴィッツと言えばユダヤ人だけが犠牲になったように思い込んでいたのかと。
 日本が第二次大戦で負けたことも知らない、なんて訳知り顔に憤慨していた番長も、結局は同じ穴のムジナだったというわけだ。

 国際社会、と簡単に言うが。
 確かに移動や通信手段の発達で、飛行機やインターネットのおかげで、世界の距離は縮まったと思うぜ。
 EU域内にいると、パスポートチェックもなければ両替の手間もない。国境を越えたと意識することが、むしろ難しいほどだ。

 しかし、消えない国境というのもまた、あり続ける。



s-au4.jpg
(アウシュヴィッツへと収容者を運んだ列車の終着駅)




 いや、まいったね。
 その国境を克服しようとする努力と、妥協する寛容さが、共に必要なんだろうな。




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