2010.03.21 (Sun)
フランステレビのつまらなさ、背景にあの将軍の影
まいったね。
国営放送の多さには、まいったね。
これまでにも紹介したとおり、フランスでテレビをアンテナにつなげるとすぐに見ることのできるチャンネルは、全部で6つある。
そのうち1つが前回紹介したキャナル・プリュスだが、こいつは金を払わないと見られねえ。
つまり、一般人が見られるのは5チャンネルってことだ。
この5つのうち3つが国営放送なのよ。
運営しているのはフランス・テレビジョン。
総合的なフランス2、地域重視のフランス3、教育放送のフランス5。
それに加えて、ケーブルテレビや衛星じゃないと見られない、音楽・芸術重視のフランス4、海外県と海外領土向けのフランスO(オ)を傘下に持つ。

(フランス・テレビジョンのウェブサイトより)
ということは、誰でもフツーに見られる民放というのは2局しかないということになる。
1チャンネルのTF1と、6チャンネルのM6だな。
ところが、民放の雄と言われているTF1さえ、元々は国営放送だったのよ。
そう言われても、まだテレビってものが発明されたばかりの、白黒で放送されていた当時の、昔むか~しのことだと思うだろ。
そうでもねえんだ。TF1が民放になったのは1987年のこと。
どうだい、割とまだ最近だろ。まだ20年そこそこだぜ。
しかも、その1987年まで、フランスには民放ってものが存在しなかったんだ。
いい機会だから、ちょっと歴史を振り返っておこう。
フランスでテレビ放送が始まったのは、第二次大戦の集結から間もない1948年。日本に先んじること5年だから、世界でも早い方だろうな。
日本では、NHKの放送開始が1953年2月。
最も古い民放のテレビ局は日本テレビで、遅れることわずか半年、8月に放送を始めた。その後、55年にTBS、59年にNHK教育、テレ朝、フジが相次ぎ開局。キー局で最も開局が遅かったのはテレビ東京で、それが64年のことだ。
その1964年、フランスではようやく2つ目のチャンネルができた。
16年の長きに渡り、テレビ局ってのはたった一つしかなかったのよ。当時のテレビにはチャンネルってものがなかったのかもしれねえな。
次のチャンネル、3局目ができるのはさらに8年の後、72年のことだ。
なんだってフランスではこんなにテレビが立ち遅れたか。
実は、フランスの歴史に関係してんのよ。
時は1944年8月25日、パリはナチス・ドイツの支配から解放された。
第二次大戦中にレジスタンス活動の中心だったシャルル・ド・ゴール将軍が首相に就任し、共和国として再起を図る。
そうよ、パリの空港の名前にもなってるド・ゴールさんよ。

(シャルル・ド・ゴール、ウィキペディアより)
ところが、フランスってのは当時、議会の権限が強かった。政党があれこれと乱立し、政争に明け暮れていた。だから、政策決定がろくすっぽ進まねえ。
業を煮やしたド・ゴールは、もうやめたと言って首相職を放り出しちまう。やりたきゃお前らで勝手にやれ、ってな。これが1946年のことだ。
カリスマを失った政府は右往左往。その間にも東西冷戦は深刻化を増し、海外の植民地は次々に独立を求めて立ち上がっていたが、うまい手が打てずにいた。
市民のイライラが頂点に達しようとしていた1958年、気が熟したのを見てあの男が帰ってくる。ド・ゴールよ。圧倒的な支持をもって迎えられ、その勢いで大統領の権限を強化するように憲法を改正。そのまま大統領の座に就いちまったんだな。こいつが現在まで続く「第五共和政」の始まりだ。
そのド・ゴール。
最も速い政策決定システムとは独裁だ、と何かの本で読んだ気がするが、時に強権的とも取れるような豪腕をふるい、フランスを復興させたんだな。
その際、徹底して中央集権制を採った。
パリが他のヨーロッパ諸国に類を見ないほどの巨大都市として発展し、一方で未だに隣国ドイツなんかに比べて地方分権が進んでねえのも、この名残だと言われてるくらいだぜ。
テレビも、そんな手段の一つとして利用されたのよ。
すなわち、中央政府の方針をフランス全土のあまねく国民に伝える手段として。
また、国民の文化水準を引き上げる手段として。
ゆえに、娯楽番組を流すような素地が元々ないんだな。つまんない番組も多くなる道理よ。
今でも、ほとんどの放送局がローカル局のネットワークを持っていない。これも中央集権政策の名残だな。
唯一、3チャンネルのフランス3だけがそれぞれの地域に即したローカルニュースを流しちゃいるが、夕方の正味1時間弱くらいに限った話だ。
フランス全土、どこへ行ってもやってる番組はみな同じ。
関西でしか見られないお笑い番組、なんてのは存在しねえ。「水曜どうでしょう」が生まれる素地もねえのよ。
(多くの人がご存じだろうが、水曜どうでしょうとは北海道テレビ製作のローカル・バラエティで、あれよあれよの間に全国区の人気を獲得したオバケ番組だ。俳優の大泉洋を輩出している)
いや、まいったね。
フランスのテレビがつまらねえのには、そんな背景もあるってことだ。
こいつは一朝一夕に改善できる問題じゃあねえようだぜ。

国営放送の多さには、まいったね。
これまでにも紹介したとおり、フランスでテレビをアンテナにつなげるとすぐに見ることのできるチャンネルは、全部で6つある。
そのうち1つが前回紹介したキャナル・プリュスだが、こいつは金を払わないと見られねえ。
つまり、一般人が見られるのは5チャンネルってことだ。
この5つのうち3つが国営放送なのよ。
運営しているのはフランス・テレビジョン。
総合的なフランス2、地域重視のフランス3、教育放送のフランス5。
それに加えて、ケーブルテレビや衛星じゃないと見られない、音楽・芸術重視のフランス4、海外県と海外領土向けのフランスO(オ)を傘下に持つ。

(フランス・テレビジョンのウェブサイトより)
ということは、誰でもフツーに見られる民放というのは2局しかないということになる。
1チャンネルのTF1と、6チャンネルのM6だな。
ところが、民放の雄と言われているTF1さえ、元々は国営放送だったのよ。
そう言われても、まだテレビってものが発明されたばかりの、白黒で放送されていた当時の、昔むか~しのことだと思うだろ。
そうでもねえんだ。TF1が民放になったのは1987年のこと。
どうだい、割とまだ最近だろ。まだ20年そこそこだぜ。
しかも、その1987年まで、フランスには民放ってものが存在しなかったんだ。
いい機会だから、ちょっと歴史を振り返っておこう。
フランスでテレビ放送が始まったのは、第二次大戦の集結から間もない1948年。日本に先んじること5年だから、世界でも早い方だろうな。
日本では、NHKの放送開始が1953年2月。
最も古い民放のテレビ局は日本テレビで、遅れることわずか半年、8月に放送を始めた。その後、55年にTBS、59年にNHK教育、テレ朝、フジが相次ぎ開局。キー局で最も開局が遅かったのはテレビ東京で、それが64年のことだ。
その1964年、フランスではようやく2つ目のチャンネルができた。
16年の長きに渡り、テレビ局ってのはたった一つしかなかったのよ。当時のテレビにはチャンネルってものがなかったのかもしれねえな。
次のチャンネル、3局目ができるのはさらに8年の後、72年のことだ。
なんだってフランスではこんなにテレビが立ち遅れたか。
実は、フランスの歴史に関係してんのよ。
時は1944年8月25日、パリはナチス・ドイツの支配から解放された。
第二次大戦中にレジスタンス活動の中心だったシャルル・ド・ゴール将軍が首相に就任し、共和国として再起を図る。
そうよ、パリの空港の名前にもなってるド・ゴールさんよ。

(シャルル・ド・ゴール、ウィキペディアより)
ところが、フランスってのは当時、議会の権限が強かった。政党があれこれと乱立し、政争に明け暮れていた。だから、政策決定がろくすっぽ進まねえ。
業を煮やしたド・ゴールは、もうやめたと言って首相職を放り出しちまう。やりたきゃお前らで勝手にやれ、ってな。これが1946年のことだ。
カリスマを失った政府は右往左往。その間にも東西冷戦は深刻化を増し、海外の植民地は次々に独立を求めて立ち上がっていたが、うまい手が打てずにいた。
市民のイライラが頂点に達しようとしていた1958年、気が熟したのを見てあの男が帰ってくる。ド・ゴールよ。圧倒的な支持をもって迎えられ、その勢いで大統領の権限を強化するように憲法を改正。そのまま大統領の座に就いちまったんだな。こいつが現在まで続く「第五共和政」の始まりだ。
そのド・ゴール。
最も速い政策決定システムとは独裁だ、と何かの本で読んだ気がするが、時に強権的とも取れるような豪腕をふるい、フランスを復興させたんだな。
その際、徹底して中央集権制を採った。
パリが他のヨーロッパ諸国に類を見ないほどの巨大都市として発展し、一方で未だに隣国ドイツなんかに比べて地方分権が進んでねえのも、この名残だと言われてるくらいだぜ。
テレビも、そんな手段の一つとして利用されたのよ。
すなわち、中央政府の方針をフランス全土のあまねく国民に伝える手段として。
また、国民の文化水準を引き上げる手段として。
ゆえに、娯楽番組を流すような素地が元々ないんだな。つまんない番組も多くなる道理よ。
今でも、ほとんどの放送局がローカル局のネットワークを持っていない。これも中央集権政策の名残だな。
唯一、3チャンネルのフランス3だけがそれぞれの地域に即したローカルニュースを流しちゃいるが、夕方の正味1時間弱くらいに限った話だ。
フランス全土、どこへ行ってもやってる番組はみな同じ。
関西でしか見られないお笑い番組、なんてのは存在しねえ。「水曜どうでしょう」が生まれる素地もねえのよ。
(多くの人がご存じだろうが、水曜どうでしょうとは北海道テレビ製作のローカル・バラエティで、あれよあれよの間に全国区の人気を獲得したオバケ番組だ。俳優の大泉洋を輩出している)
いや、まいったね。
フランスのテレビがつまらねえのには、そんな背景もあるってことだ。
こいつは一朝一夕に改善できる問題じゃあねえようだぜ。

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あ |
2010.03.21(日) 15:38 | URL |
【コメント編集】
思い返してみると、私が数年住んでいたカナダのアルバート州でも
アナログ電波で視聴出来たのは僅かに3チャンネル。ケーブルに
加入すればいきなり100チャンネル近くになります。
ほとんど加入を前提・・・としているように感じましたし
フランスとさして事情は変わらないのかも・・・
そうやって考えると日本は恵まれてますね~
チャンネルも豊富だし、番組も工夫を凝らして作ってる・・・
これでその番組自体が面白ければ良いんですけどね。
今は見たい番組自体ほとんどなく・・・
アナログ電波で視聴出来たのは僅かに3チャンネル。ケーブルに
加入すればいきなり100チャンネル近くになります。
ほとんど加入を前提・・・としているように感じましたし
フランスとさして事情は変わらないのかも・・・
そうやって考えると日本は恵まれてますね~
チャンネルも豊富だし、番組も工夫を凝らして作ってる・・・
これでその番組自体が面白ければ良いんですけどね。
今は見たい番組自体ほとんどなく・・・
シックボーイ |
2010.03.21(日) 16:51 | URL |
【コメント編集】
デモねえ。これまた興味深い、奥の深いテーマなんだよなあ。たしかにフランスってのはスト・デモ大国なのよ。何が一番スゴイって、ストやデモで本当に政治が変わってしまうということだな。しかし、それが果たして良いことなのかと問われれば、そうでもないんじゃねえかと思うんだな。ま、このへんはまた機会があれば書いてみたいところだぜ。
フランス番長 |
2010.03.22(月) 02:47 | URL |
【コメント編集】
シックボーイさん、押忍! なるほど、カナダもそんな状況かい。たとえばアラブや東南アジアなんかを訪ねても、衛星放送を受信するためのパラボラアンテナだけは各戸に、どんなオンボロな家にもあったりするもんなあ。国内の地上波放送よりよほど自由で、かつ充実しているからだろう。やはり日本のような国が例外なんだろうな。フランスで意外な感じがするのは、さぞかしテレビなんかもエスプリの効いた独自のものをつくってるんじゃないだろうかという勝手な先入観のなせる技なのかもしれん。
フランス番長 |
2010.03.22(月) 02:53 | URL |
【コメント編集】
番町、こんにちは。
テレビ放送システムの状況という一面をとってもすごくフランスらしさがあふれているんですね。しかし今回の話をきくだにフランスがなぜかくも政官財の中央集権の強い国になったのか、改めて興味深く感じます。何せ第2次大戦まではドイツこそが中央集権の強い国で、大戦後は分権が進みましたからね。日本は大戦後も中央集権は強まりこそすれ、分権へとは進まなかったのに。首都にキー局が集中しているところは日本と似ていますね。日本もフランスもどんどんと方言が消えていったというのも、テレビの影響は強かったでしょうね。
そしてフランスのテレビのマンネリはすごい。日本もテレビは面白くないと思っていましたが、それ以上なのかもしれませんね。余計なことかもしれませんが、個人的には僕もアメリカのドラマを見ることは結構あります。映画もドラマもアメリカは時々すごいのを作ります。くだらないものやつまらないものもその何倍もあるでしょうけれど、やっぱり人材も金も情熱も桁違いに集まってくるせいでしょうね。ERというドラマは15年ほど前に始まったとき、現役の小児科医からそういう番組があると聞いたのですが、その先生は「いやぁ、すごいリアルな医療ドラマでびっくりした。アメリカでは小児科でも急性喘息の子供にかなりのステロイドを投与していて、日本とはだいぶ違うということが分かった」なんて言ってました。またコメディの秀作が多いですね。「サインフェルド」「フレンズ」「アグリーベティ」は本当に面白かった。いや個人的なことばかりで失礼しました。
(フリーズ解けました!)
テレビ放送システムの状況という一面をとってもすごくフランスらしさがあふれているんですね。しかし今回の話をきくだにフランスがなぜかくも政官財の中央集権の強い国になったのか、改めて興味深く感じます。何せ第2次大戦まではドイツこそが中央集権の強い国で、大戦後は分権が進みましたからね。日本は大戦後も中央集権は強まりこそすれ、分権へとは進まなかったのに。首都にキー局が集中しているところは日本と似ていますね。日本もフランスもどんどんと方言が消えていったというのも、テレビの影響は強かったでしょうね。
そしてフランスのテレビのマンネリはすごい。日本もテレビは面白くないと思っていましたが、それ以上なのかもしれませんね。余計なことかもしれませんが、個人的には僕もアメリカのドラマを見ることは結構あります。映画もドラマもアメリカは時々すごいのを作ります。くだらないものやつまらないものもその何倍もあるでしょうけれど、やっぱり人材も金も情熱も桁違いに集まってくるせいでしょうね。ERというドラマは15年ほど前に始まったとき、現役の小児科医からそういう番組があると聞いたのですが、その先生は「いやぁ、すごいリアルな医療ドラマでびっくりした。アメリカでは小児科でも急性喘息の子供にかなりのステロイドを投与していて、日本とはだいぶ違うということが分かった」なんて言ってました。またコメディの秀作が多いですね。「サインフェルド」「フレンズ」「アグリーベティ」は本当に面白かった。いや個人的なことばかりで失礼しました。
(フリーズ解けました!)
triolet |
2010.03.22(月) 03:46 | URL |
【コメント編集】
trioletさん、押忍! 地方分権が進んだ国と進まなかった国、それぞれのテレビ事情を比較して調べるというのも面白そうだな。たとえばドイツのテレビ事情なんてどうなってるのかねえ。と思ってちらりと検索してみたところ、やっぱりアメリカのドラマをいっぱい放送しているようだ。でもって予想通り、地方局というのもちゃんと存在している様子だったぜ。番長もアメリカのドラマは嫌いじゃねえが、あんまり多すぎるんだよな。でも、思えば日本も昔はアメリカの番組をたくさん流していた。結局、フランスのテレビってのはあんまり変化してねえってことなんだろうかなあ。
フランス番長 |
2010.03.23(火) 08:18 | URL |
【コメント編集】
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旧植民地のアフリカでは、政情不安の国が多いですし。
ただし、今はネットで外国の情報が簡単に入手できるじだいですから、フランスも今後変わってくるでしょ。