2017年03月 / 12月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫01月

--.--.-- (--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

にほんブログ村 海外生活ブログ フランス情報へ   にほんブログ村 外国語ブログ フランス語へ  ← クリックしてもらえりゃありがたいぜ。

人気ブログランキングへ   パリ生活情報   blogram投票ボタン

--:--  |  スポンサー広告  |  編集  |  上へ↑

2010.04.30 (Fri)

深い因縁アルじぇりあ 移民国家フランス(3)

 まいったね。
 アルジェリアとフランスを巡る歴史には、まいったね。


 フランスにいる移民は、主に第一次大戦後に来たヨーロッパ系と、第二次大戦後に来たアラブ・アフリカ系に分かれるというのは、以前の記事で触れたとおりだ。もちろん厳密に分けられるわけじゃねえんだが、おおむねそう考えて間違いない。
 このアラブ・アフリカ系というのは、フランスの旧植民地国から来たってのがほとんどだ。なかでも多いのは、北アフリカにあって地理的に近い、モロッコ・チュニジア・アルジェリアのマグレブ3国になる。
 そのほか、モーリタニア・セネガル・マリ・ギニア・コートジボワール・ニジェール・ブルキナファソ・ベナンといった、西アフリカにある元フランス領の国々から来る移民も少なくない。と言っても、日本人にはもひとつなじみの薄い国が多いかな。
 パリ・ダカールラリーは知ってんだろ。世界一過酷なレースと言われるアレよ。その終点、ダカールはセネガルの首都だ。アンタ、2002年にあったサッカーの日韓ワールドカップを覚えてるかい? あんときのセネガルはベスト8に進出する大活躍を見せたんだが、その1次リーグ初戦で相対したのが、優勝候補だったフランスなのよ。旧宗主国を破ったセネガルの熱狂は大変なものだったそうだ。
 それからコートジボワール、これなんかは国名がそのままフランス語だもんな。「象牙海岸」って意味だ。大航海時代に象牙が売買されたからよ。ついでに奴隷もな。それからマリってのはかつてこの地域に一大帝国を築いた国で、ユネスコの世界遺産を国内に4カ所抱えてるんだが、最近は遺跡見学に飽き足らないフランス人たちがエコツーリズムのために押し寄せている。
 さらにアフリカには、コンゴ共和国・中央アフリカ共和国・ガボン・チャド・コモロ・セーシェル・ジブチ・マダガスカルと、旧フランス領がまだまだいくつもある。こうした国々からの移民というのももちろんフランスにはいる。もっとも、マグレブ3国なんかに比べりゃ圧倒的に数は少ないようだ。


 こんな風に、あまたあるアフリカの旧フランス領なんだが、なかでもフランスにとって特別な存在がある。アルジェリアだ。
 アルジェリアは、他のマグレブ諸国と同様、フランスと隣接している。地中海を挟んではいるが、南仏のマルセイユからアルジェリアの首都アルジェまでの距離は、パリまでの距離とほぼ同じくらいでしかない。
 そのアルジェリアは1830年、フランスに侵略された。こいつはフランスの歴史上、植民地史上では画期的な出来事と言える。18世紀のフランスはルイジアナなど北米に植民地を持っていたが、イギリスとの間の植民地戦争でことごとく負けるわけだ。で、フランス革命が起き、ご存じナポレオン・ボナパルトが現れてと、本国がごちゃごちゃしている間に海外のフランス領はすべてなくなってしまうんだな。
 このアルジェリア侵略は、フランスが新たな植民地支配へと乗り出す第一歩だったわけだ。上につらつらと並べ上げた各植民地は、みなアルジェリアの後でフランス領になった。

 フランスがアルジェリアを狙ったのは、鉄鉱石を筆頭に資源が豊富だったからだ。
 フランスの工業はアルジェリアの富を吸い上げる形で発展した。イギリスにとってのインドみたいなもんだな。
 たとえばフランス全土を走る鉄道なんてのも、この時代にアルジェリアの鉄を使って敷設されたものだ。それが今じゃフランス版新幹線のTGVという形で、フランスの主力輸出商品の一つになってるんだから、アルジェリアさまさまってなもんよ。
 占領されたアルジェリアには、フランスから白人が次々と送り込まれ、支配体制を盤石なものにしていった。彼らは「コロン」と呼ばれ、本国のフランス人と同じ権利を受けたんだな。一方で、アルジェリア人には市民権は与えられなかった。それでいて戦争の際にはフランス軍兵士として召し上げられたってんだからヒドイ話だぜ。

 ところで番長、さっき「白人」が送り込まれたと書いたな。実は、コロンにはフランス人以外の白人も相当多かったらしい。イタリアやスペインからの移民だったっていうのよ。もっとも、もともと宗教も同じだし、言語も似たり寄ったりだから、彼らがフランス化するのは時間の問題だったようだ。
 この時期のフランスには、青年男子が圧倒的に不足していた。ナポレオン戦争でみんな戦死しちまったからさ。名高い「外人部隊」がフランスに生まれたのもこの時期、1831年のことで、彼らの初舞台はアルジェリア侵略だった。

 コロンたちはさらに、アルジェリア人から土地を収奪、ブドウのプランテーションをはじめた。もちろんワインにするためだ。土地を奪われたアルジェリア人は失業し、単純労働力を欲していたフランス本国へとやむなく渡った。これがフランスにおけるアラブ系移民の発端だと言われている。


 さて、それから100年あまりの月日が流れる。
 このころのフランス人にとって、アルジェリアというのは生まれたときからフランス領だ。そういう歴史の深さ、距離の近さから、アルジェリアというのは単なる植民地ではなく、フランスにとっては不可分の領土となっていたのよ。
 100年の間にコロンの人口は増え続け、その数はなんと100万人に達した。
 この白人人口の多さこそが、その他の植民地とアルジェリアとを分ける最も大きな違いだ。当時のアルジェリア人は900万人ほどだったと言うから、どれだけ多いかわかるだろう。10人に1人だもんな。
 経済力を付けたコロンたちは、フランス本国の政治家や有力者と渡りを付け、一つの勢力を築いていた。
 コロンのアルジェリア人に対する差別意識というのは相当強かったらしい。両者は社会の中で交わることがなく、100年経っても混血はほとんど起きなかった。このへん、良し悪しはともかく、多数のメスティーソを生んだ中南米の旧スペイン・ポルトガル領とは全然違うところだな。

 第二次世界大戦が終わると、世界中の植民地で独立の機運が高まった。
 アルジェリアもまたしかりだ。フランスの統治下に入ってから1世紀が過ぎるというのに、アルジェリア人には市民権が与えられず、コロンの下で搾取され、不満がたまりにたまっていた。導火線に火がつくのを待つばかりの状況が続いていたわけだ。
 1954年、アルジェリア民族解放戦線(FLN)による武装闘争が始まる。フランスはこの独立運動を徹底して弾圧した。FLNと関連があるとみなせば裏付けがなくても集落を攻撃し、片っ端からアルジェリア人を逮捕した。FLNは大した武装もない貧弱な組織だったが、ゲリラ戦を得意とし、大いにフランス軍を手こずらせた。ベトナム戦争と同じような話だな。
 アルジェリアの独立運動は隣国のチュニジアとモロッコにも飛び火したんだが、フランスはこの2つの国に対し、56年に独立を認めている。ところが、アルジェリアに対しては手を緩めることがなかった。それくらいアルジェリアってのは本国と一体化してたってことだ。

 しかしFLNはあきらめない。戦闘は次第に泥沼化の様相を見せてくる。するとフランス国内でも、もういいじゃないか、独立を認めようという声が次第に高まっていくんだな。で、いやダメだとする強硬派との間で政争が起きる。このときの政府は両者の板挟みにあって動きが取れなくなっていた。
 業を煮やしたのが、当時アルジェリアに駐留していたフランス軍だった。その数50万人超。バーロー、オレたちゃ前線で命を賭けてんのに、本国がそんな弱腰でどう戦えってんだ。ならばオレたちの手で政権を執ってやるまでよとばかりに、フランス本国に対して反乱を起こした。手始めにコルシカ島を占領した。クーデターだ。
 そうなのよ。アルジェリア人独立の戦いは、ここへ来てフランス人同士の戦いへと転じちまったのよ。
 この反乱を、100万人のコロンたちは諸手をあげて歓迎。さらに、アルジェリアを統治し続けることがフランスには必要だとする本国の右翼もこの動きを指示した。

 駐留軍の狙いは、第二次大戦のヒーロー、シャルル・ド・ゴールを担ぎ出すことだった。ド・ゴールは保守派だから、FLNに対しても厳しく対処してくれるだろうと期待したわけだな。
 で、ド・ゴールはまんまと担ぎ出され、軍部の支持を背景に、新たに強大な権限を付与された大統領として政界に返り咲く。

 ところがド・ゴールは、アルジェリアの独立を認めてしまった。
 本国のフランス人の間に厭戦気分が強まっていたのが一つ。世界的に植民地の独立を認め、人権を認める動きが高まっていたことが一つ。さらに、やっかいなFLNを相手に植民地を維持するより、独立させた上で経済的に支配する方がトクだってな考えが実業界に持ち上がっていたことも、ド・ゴールの背中を強く押したと言われているぜ。
 このときド・ゴールの作った体制こそが、「第五共和制」といい、今もフランスに生き続ける政治システムだ。その意味では、フランスが世界に誇る共和制の礎をつくったのは、アルジェリアなのかもしれねえ。


 こうして1962年、7年間に及んだアルジェリア戦争は終わった。132年に及んだフランスのアルジェリア支配は幕を閉じた。
 だが、たくさんのひずみを残していった。

 100万人いたコロン。アルジェリアに残るか、「特権を持った外国人」としてフランス本国に戻るかを選ぶことになったが、コイツは事実上の一択問題。さんざんばら差別してきたアルジェリア人と今さらニコニコ肩を並べるわけにはいかない。大挙して本国に戻った。
 ところが、130年も前に国を出た人々だし、そもそもイタリアやスペインからの移民が多かったから、フランス本国には居場所がない。本土のフランス人からは「ピエ・ノワール」(「黒い足」の意)と呼ばれ、二級市民のごとく蔑視された。
 ちなみにこのピエ・ノワールという言葉は、その後数十年を経て「オレたちゃ引き揚げ者だぜ」というアイデンティティを表す言葉として、むしろ当人達の間で積極的に使われるようになる。アメリカでかつて蔑称だった「ブラック」という言葉が、今では積極的な意味になっているのと同じような現象だな。

 他方、アルジェリア人の中にも、フランス側、コロン側に付いた人たちがいた。独立戦争でもフランス側に立ち、フランスのために戦った。彼らは「アルキ」と呼ばれる。いざ戦争が終わってしまえば、アルジェリアでは裏切り者だ。当然フランス本国へ逃げようとしたんだが、5万~15万人はアルジェリア人達に虐殺されたらしい。
 命からがら逃げおおせた人々はおよそ9万人いたが、やはり居場所がない。フランスのために命を賭けた勇士と讃えられることもなく、兵営用の仮設キャンプへぶち込まれた。彼らは次第にアルキであることを隠すようになり、社会から姿を消していった。

 今でも、フランスに数多い有色人種の移民の中で、アルジェリア人移民に対する風当たりというのはとりわけ強い。
 アルジェリアはフランスのものだという右翼的な発想からの反発が一つ。元コロンたちの反発が一つ。さらに、アルジェリア独立戦争を通じてフランス人に10万人の犠牲者が出たということもある。まあ、アルジェリア人の死者は100万人を超えるそうだが。

 フランス政府は1999年まで、このアルジェリア戦争のことを、フランス国内における内戦だと位置づけていた。
 戦争末期の1961年10月17日、パリで警察によるアルジェリア人虐殺が起きた。当局による発表では、犠牲者はわずかに2人。実際には70~200人が殺害され、セーヌ川には多数の遺体が遺棄されたという。だが、この事件には長らく闇に葬られていた。公式に慰霊する碑が建てられたのは2001年のことだ。
 また、フランス政府は1960年から67年にかけて、アルジェリア領のサハラ砂漠で17回にわたって核実験をしているが、「核実験は安全で被害者は存在しない」と繰り返してきた。2009年になってようやく、その被曝者に対する補償が始まった。


 いや、まいったね。
 アルジェリアとの因縁ってのはフランスにとって、ノドに刺さった小骨みたいに、今でも消化しきれていないようだぜ。
 数ある植民地の中でもアルジェリアが特別だということは、知っておいてもいいんじゃねえかな。




bancho200.gif




スポンサーサイト

にほんブログ村 海外生活ブログ フランス情報へ   にほんブログ村 外国語ブログ フランス語へ  ← クリックしてもらえりゃありがたいぜ。

人気ブログランキングへ   パリ生活情報   blogram投票ボタン

テーマ : フランス ジャンル : 海外情報

11:00  |  俺節フランス  |  トラックバック(0)  |  コメント(20)  |  編集  |  上へ↑

*Comment

番長!
そのアルキってのの子孫が今のFNの比例名簿に名前を連ねてるっていう噂だぜ!アルジェリア、意味わからねぇ!沢尻エリカもアルジェリア系だから、やっぱりタイムリーってことですかっ!!!(番長風ここまで)


爛漫子 |  2010.04.30(金) 16:15 |  URL |  【コメント編集】

番長こんにちは!

このアルジェリア戦争って、映画になってませんでした?
白黒だけど、そんなに古い時代に作られたんではなかったような…。
とにかく、映画でも鬼気迫る演出で、この問題の根の深さが強く伝えられていたと思います。
ぷー |  2010.04.30(金) 16:50 |  URL |  【コメント編集】

■番長、押忍。

番長、押忍。

因縁のアルジェリアとフランスの歴史認識を
とても分かりやすく説明して頂いてすっきりしました。
フランスに在住においてこちらの民族の方達は
切り離せない事(問題も)ですよね。

小職のフランスの滞在許可書の更新際の召喚状のタイトルが、
『フランス人配偶者と婚姻○○年目のEU諸国以外の外国人』、
『アルジェリア人(一夫多妻じゃない証明要!)』 と、
おなじくくりになっていてとても興味深いのです。
(彼らも毎年更新あるいは、数年を経て10年許可となるらしいです。)

友人に在日韓国人の子(三世)がいるのですが、
日本では 『日本国特別在留滞在許可』 という扱いだそうで
未だに更新をしたり手続き上不便があるとの事。

思うに日本に住む在日韓国朝鮮人の方達と、
フランスにおけるアルジェリア人の方達は、
書類や行政上、似ている部分があるな~と感じます。

話がまた脱線してしまいましたが、、、、。
Yoco |  2010.04.30(金) 16:51 |  URL |  【コメント編集】

■爛漫子さん、押忍!

 おっと、エリカ様もアルジェリア系なのかい! どれどれウィキペディアを検索……ありゃま、ホントだ! これは初耳だったなあ。「日本人の父と、アルジェリア系フランス人(アルジェリア生まれフランス育ちのベルベル人)の母を持つハーフ」だと。24歳のエリカ様のお母さんってことは40代後半から50代くらいだろうから、アルジェリア独立戦争のころに生まれた方ってことか。興味深いねえ。
フランス番長 |  2010.04.30(金) 17:40 |  URL |  【コメント編集】

■ぷーさん、押忍!

 そうそう、映画になってるぜ。タイトルは……ちと忘れちまったが。申し訳ない! それと、ルポルタージュ(本)も出てるよな。アルジェリアがそれだけフランスにとっちゃ抜き差しならない問題だってことなんだろう。遅かりしとは言え検証されているというのは、フランスの良心をシメしているのかもな。
フランス番長 |  2010.04.30(金) 17:46 |  URL |  【コメント編集】

■Re: 番長、押忍。

 Yocoさん、押忍! ま、番長の書き方はいろいろバッサリと切ってあるんで、詳しいことはぜひ他のサイトなり本なりに当たられることをオススメするぜ。特にド・ゴールが出てくるあたりの背景は複雑怪奇だからなあ。それはともかく、その滞在許可証の召喚状タイトル、実に興味深いねえ。アルジェリア人だって日本人と同じく非EU諸国民のはずだが、アルジェリア人だけが特別に名指しされてるってことかな? Yocoさんのおっしゃる、フランスでのアルジェリア人と日本での在日コリアンの扱い・位置付けが似ているってお話、まったく同感だぜ。喩えとしてストンと胸に落ちたなあ。番長が言いたかったのはそういうことなのよ。だったら最初から言っとけってな! ハッハッハ。
フランス番長 |  2010.04.30(金) 17:51 |  URL |  【コメント編集】

フランスの外国人部隊っていうのも、こういった移民の人が多いんでしょうね…。
自国民と移民との壁ってのは、日本に住んでるとよく分からないですが、想像以上に高いような気がしますね。
あ |  2010.04.30(金) 19:03 |  URL |  【コメント編集】

■アルジェリア人とコリアン

番長、Yocoさん、はじめまして!

フランス/アルジェリア関係と、日本/コリア関係の対比、
私も前々から漠然と思っていましたが、コメントを読んで
膝を打ちました。

ところで、フランス人にとってのクスクスは、日本人にとって
の焼肉・・・なんてことも言えるのかな?

HKG |  2010.04.30(金) 22:07 |  URL |  【コメント編集】

■あ さん、押忍!

 それが、そうでもないみたいだぜ。ドイツ人だイタリア人だっていう近隣の住人が多いらしい。入隊して5年すればフランス国籍がもらえるってんだから、いかにもアフリカ人は多そうだがなあ。きっちり調べたら面白そうな話ではあるな。
フランス番長 |  2010.05.01(土) 09:29 |  URL |  【コメント編集】

■Re: アルジェリア人とコリアン

 HKGさん、押忍! アンシャンテだぜ。いやホント、秀逸な比喩だったよな。クスクスと焼肉ってのも言い得て妙だぜ。どの街にも必ずあるし、どこで食べてもそうハズレがねえってのも似てるかもしれねえ。うーん、こいつはいいところに目を付けたね、Yocoさんよ!
フランス番長 |  2010.05.01(土) 09:31 |  URL |  【コメント編集】

■映画

アメリのモロッコ系俳優ジャメルなんとかがでてた「デイズオブグローリー」Indigènesか、「いのちの戦場」っていうベタな邦題にすり替えられた映画があるみたいですね。

この邦題の翻訳は配給会社の新入社員のしわざか。・・・

植民地時代は、アルジェリア民は、二級市民でしたからね。同じスタチューを与えられてなかった、しかもせこくその中でもユダヤ系が上でその下が90%以上のイスラム系。

そりゃ、うらみつらみはあるわけよ。でも、独立後もフランスに頼りきってなんも自分で積極的にパトロンとの縁を切れない因縁もあるし。

日韓関係とは似たところもありますが、あたしはもっと依存度が高いような・・・

ひとことでは語れないわな。
爛漫子 |  2010.05.02(日) 08:28 |  URL |  【コメント編集】

日本と韓国の経済格差より、フランスとアルジェリアの経済格差の方がはるかに大きいでしょうからね…

経済的な格差が大きい上に、同じフランス語を話す国なら、移民が多くなるでしょうね。
くま |  2010.05.02(日) 20:10 |  URL |  【コメント編集】

番長さん、押忍。
× ドット ○ トッドです。すみません。
ド・ゴールは柔軟な現実主義者で、何より勇気があったということでしょうか。
アルジェの内戦は、結局、のめり込めばのめり込むほど事態が悪化する軍事・外交上の失敗であり、たとえ自分に期待をかける勢力から怨まれても、きっぱりと失敗を認めて手を引く必要があり、彼にはその勇気があったということですね。リーダーの必要な責任感とは何かと考えさせられます。
言いにくいことでも決然と言う。ただし、相手のあることだから言い方は考えなければならない。上手に言う。「けじめ」が失われると他者(他人、他国)との関係はおかしくなるし、自分自身もおかしくなる。
苦労された移入民の方々にも配慮も勇気も以って率直に話し合う。なかなかしんどいと思います。
rqrq |  2010.05.02(日) 22:42 |  URL |  【コメント編集】

■Re: 映画

 爛漫子さん、押忍! 「いのちの戦場」……まあ別に誤訳ってわけじゃねえが、いのちって平仮名で書くことによるこの効果ってのはなんだろうねえ。途端に文部科学省推薦というかPTA会報誌って感じになっちまうな。おっしゃる通り一言では語れねえな。ご指摘の、独立後も依存する関係ってのは、日本人である番長には理解しがたい所がある。たとえば日本に対する中国や韓国とは、また全然違う関係性だよな。最近のサルコジのガボンに対する外交なんかを見ると、そういう主従関係から脱しようとする意識は、むしろフランス側の方にあるのかなとも思っちまうぜ。
フランス番長 |  2010.05.03(月) 17:04 |  URL |  【コメント編集】

■くまさん、押忍!

 おっしゃるとおり、一口に韓国とアルジェリアを同列に論じることは危険だな。比較対象というか、なじみのない概念をグッと引き寄せるって意味じゃいい比喩なんだけどな。やはりフランスとアルジェリアの関係、一筋縄ではいかないぜ。
フランス番長 |  2010.05.03(月) 17:06 |  URL |  【コメント編集】

■rqrqさん、押忍!

 すべての人物がそうであるように、もちろんド・ゴールも功罪は半ばするが、ことアルジェリア独立に対する判断というのは妥当だったんじゃねえかなと番長は思うぜ。政治の世界というのは奇々怪々、魑魅魍魎が跋扈する世界だからなあ。ド・ゴールは当初、アルジェリアに対する態度をなかなか明確にせず、言質を取らせなかったらしい。そういうタフさがねえと、フランス政界なんてとても渡れねえんだろうな。そのへんは、ド・ゴールが単なるレジスタンスの英雄ではなかったってことなんだろう。でも、それが大統領たる者の仕事だよな。
フランス番長 |  2010.05.03(月) 17:07 |  URL |  【コメント編集】

なるほどです!
確かにフランスでは同じマグレブでも、アルジェリア人よりモロッコ人の方が上なのかな~って思いました。
その微妙な雰囲気は勘違いではなかったんですね~。
モロッコ人よりアルジェリア人のほうが卑屈で這い上がり精神旺盛でした(たまたまかもしれませんが・・・w)
マグレブ出身の白い人はみんな同じような顔していますね。
大勢の人間が海を渡ったみたいですが、白人同士だけで血縁を繰り返していれば、そうなるもの納得です・・・。
ももくそ |  2010.05.03(月) 21:15 |  URL |  【コメント編集】

アルジェリア問題を、こんなに分かりやすく読む事ができたのは、
番長の切り口ならではです。お礼と共に関心&尊敬の気持ち炸裂です!!

実は1ヶ月程前、テレビで「カミカゼ」のドキュメンタリーを見ました。
もちろん日本にいた時、この辺の事は学校で勉強しました。
が、少年たちが特攻して行く姿を映像で見たのは初めてでした。
「お国の為」ではない、彼らの本音を聞くのも初めてでした。
あまりの衝撃に涙が止まりませんでした。そしてこの事を自分の国、
日本ではなく、フランスで見て、知った事にショックを受けました。
この話をフランス人の友人にしたら、フランスも同じだと。
アルジェリア問題については長い間「蓋」をしてきて、学校で勉強するのは、
あくまでもサワリだけ。本当の姿は、わたしが見たカミカゼの様に、
自分の国の外からでないと見えない、と。なるほどな、と思いました。

そして日本にいた時、すっかり「差別ボケ」をしていたわたしは、
「日本では差別がないのに、フランスに来てショックだった」と言ったら、
仏人夫に「日本にも部落の問題があるじゃないか」と言われてしまい、
恥しい思いをしたものです。フランスの様に肌の色の違いがない分、
あまり見えてこない(見ないフリができる)かもしれませんが、
外から見られる事によって、襟を正す事ができるのかも、と思いました。
とは言え、わたしごときが何かできるワケでもないのですが・・・

自分がフランスに来て移民になって、初めてその立場に置かれている
人達の気持ちが分かるんですね。それでも在仏アルジェリア人に比べ、
日本人のわたし達は恵まれていますが・・・
えみり |  2010.05.04(火) 02:15 |  URL |  【コメント編集】

■ももくそさん、押忍!

 そうなんだよな。具体例を挙げろと言われるとなかなか難しいものがあるが、アルジェリアってのはマグレブ3国の中でも別格なんだよな。ただ、おっしゃるとおり、番長みたいな極東人には、北アフリカと南ヨーロッパの違いなんてのは判然としねえぜ。たとえばジダンの顔を見て、フランス人ならまあパッとわかるんだろうが、番長には何人かなんて知識がなければわからねえもんな。黒人とか、よほどあからさまにアラブっぽい顔をしてるならともかく、ベルベル人はわからんぜ。番長に比べりゃ肌も白いし。
フランス番長 |  2010.05.04(火) 20:44 |  URL |  【コメント編集】

■えみりさん、押忍!

 番長、えみりさんのご意見に深く頷く次第だぜ。己のことを一番知らないのは己ってのは、洋の東西を問わずどこでもあることなのかもしれねえな。そういう意味じゃ、ドイツなんてのはまともな国だよな。ちゃんとナチスの犯罪に向き合ってるじゃねえか。ありゃ戦敗国だからなのかねえ。だとしたら日本も、もう少しできることがありそうな気もするけどな。もっとも、番長の世代は世界史だ日本史だの授業と言うと、アウストラロピテクスや縄文式土器から始めるんで、現代史まで到達しないのが通例だったという事情もあったけどな。やっぱ大事なのは現代史だよな、そこから何を学ぶにせよ。
 ところで旦那さんは、フランス人にもかかわらず部落差別の知識があるなんてスゴイねえ。被差別部落の問題なんてのは、普通に暮らしてる分にはなかなか目にすることがないもんな。特に関東ではそうだ。そして、確かにゲットーに近いのかもしれねえ。決して恵まれた環境に住んでるばかりではないからな。まあ、程度の問題でしかないんだが、それでも日本の場合は被差別部落にもそれなりに向き合ってるんじゃねえかという気がするぜ。そんなの、比べても意味のないことなんだがな。
フランス番長 |  2010.05.04(火) 20:56 |  URL |  【コメント編集】

コメントを投稿する(お題・メール・URLは省略可)

URL
コメント
パスワード  編集・削除するのに必要
表示設定  管理者だけにコメントを表示  (非公開コメント投稿可能)
 

▲PageTop

*Trackback

この記事のトラックバックURL

→http://fban.blog9.fc2.com/tb.php/77-89ae35fb

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

この記事へのトラックバック

▲PageTop

 | BLOGTOP | 
ブログパーツ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。